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2013年5月10日 (金)

ヤマ場の「集中」は『ペーパーチェイス』を思い出した『舟を編む』

『舟を編む』於・川崎チネチッタ 
 
 徹底した、日常系映画である。日々は過ぎ、それに伴う諸事は起るけれども、特筆すべき、物語となるべき事件は起らない。日常系は、アニメでは、主流のうちのひとつになって久しいわけだが、実写の「映画」では、なかなかまだ、なじむための模索がなされている途中段階で、アニメの日常系が先にジャンルとして確立されえたのは、舞台の独自性を持たせられるか、とキャラクターの個性は、実写よりも、より際立たせることができる、その2点があると思うのだが、映画『舟を編む』は、その2点をクリアーしていると思われる。舞台の魅力ある特異性は、映画の舞台としては、なじみがうすい、華やかではない部署の編集部の姿がとにかく強い。そして、キャラクターは、ここは工夫がなされたと思うが、多くが、「似合わなさそう」と「でも意外に面白いかも」のすれすれの配役がなされていると思う。とすると、ここには、日ごろの「なじみの俳優」である点に甘えている部分がかなりあることになるが、それはそうだろう。
 辞書編纂という、一見、他の職業にない異色さが前面に出るかと思えば、それよりも人間関係メインなので、この部分は、もともと小説ゆえに楽しめる箇所なのかもしれない、と考える。気になったのは、私生活を描く人間と描かない人間が極端で、オダギリジョー側は、助演側ながらかなり描きこみ、また伊佐山ひろ子や小林薫の部分は、それが魅力とばかり、謎の部分を多くしている。
 日常的な物語の中で、何をクライマックスとしてもってくるかで、ヤマとなる大掛かりな最終確認作業をもってくるわけだが、そこでの、「集中」を表すための描写。あの「一心不乱にそのこと以外は考えない状態になってます」描写は、『ペーパーチェイス』を思い出させる。
 映画の初めから終りまで、決して性格を変えることがない松田龍平の演技は斬新な気がする。今までの映画作りだと、シャイさが少しとれる形になってしまいがちだが、あまりにもシャイなその性格をそのまま映画は肯定し、広義での「がんばれ」を決して言っていない。この感覚こそが、日常映画が普通になっていく可能性の兆しと思えた。
 
 パンフがものすごい。127ページ!
  ところで、松竹は、最近、急に、パンフ編集にハッパをかけているようである。その昔、松竹系のパンフは、東宝系に比べてあまりにもそっけなかったことを思うと、猛省が今、なされているのだと思う。そして気づくのは、編集者の個性だろうか。アクション系パンフで、注目されつつある中居雄太氏のように、そこで自覚を持たせているのかと斬新である。『舟を編む』パンフ編集は、宮部さくや、高山理樹両氏。主要スタッフ・キャストのインタビュー(それぞれ最低1ページ以上使っている)、コラムは角田光代氏の、原作も含めての印象論、門間雄介氏が時代背景、辞書編集者三方の鼎談、映画評論家・藤井仁子氏のこちらも印象論、撮影日誌、黒住光、中原昌也氏の対談。音楽の渡邊崇氏は、ロング・インタビューがないのだが、それに近いものが、サントラのライナーにあるので、そちらを参照のほど、ということだろう。そして、シナリオ採録、そして、すばらしいのが、最後に、ほぼひとセリフ、ひと出番しかないあたりの脇役の俳優諸氏のプロフィール(写真つき)があり、これこそ斬新で、折角分厚いパンフが可能ならばやるべきページであったろうと思う。パンフ大賞がもしあるとすれば、余裕でノミネートの労作。

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