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2013年5月23日 (木)

シンプルな愛憎談をクレバーかつお洒落な語り口で見せる『噂の女』

『噂の女』於・シネマヴェーラ渋谷(溝口健二ふたたび)鑑賞5月18日
 
  あまりにも、画面が饒舌である。繰り広げられる人間模様は、さほど入り組んだものではなく、母と娘、そして母の愛人、母に思いを寄せる男、この4人ぐらいが要である。一応、御茶屋が舞台とは言いながら、その業種に関わる悲喜こもごもについては、ここでは省略されている。もっぱら、母と娘の物語で、それも、母すなわち田中絹代の自在で愛らしい演技を楽しむものであろうと思う。
 ここでポイントは、空間の見せ方で、物語は、非常に閉じた、母娘の愛憎物語で、ドラマのほとんどは室内で展開するが、このそれぞれのシーンでの空間の奥行き・広がり、それを感じさせる効果音が、ものすごいスペクタクルさを作り上げる。和室の一室に座っているだけでも、その調度から壁などに至る複雑なこだわり、それは、もう、もし、これがカラーであったらどうであろうと、クラクラしてしまうばかりの豪華絢爛さを想像させる。それぞれの部屋の大きさの見せ方も不思議で、この画面内にこれだけが収まるからには、この部屋
のカメラの前の奥行きも相当なもの、と現実離れした空間の感じ方をする。
 黛敏郎の音楽も、テルミンと思しき音色の電子楽器を聞かせたりで、心温まる人情物語のそれでは全くない。京都の男女の色のいざこざを見せつつも、その見せ方は、まるで感情移入させまいと、必要以上に極端に冷静に描写している、といったらいいのだろうか。それは、ありきたりの物語を見つつも、ちょっとおしゃれな、一皮向けた作品の感覚を味合わせようというものか。
 オードリー・ヘップバーンよろしき久我美子のスタイルは、当時、スタイルに恵まれた女性は、きっとみんなこんな感じだったのだろうか、とは思わせる。オードリー久我のスタイルは、川島雄三『女であること』でも、ほとんど同じルックスで見ることができる。このオードリー久我の装いは、「東京色に染まった現代の女性」を端的にいちモデルとして説明している。確認すると、『噂の女』は54年で『ローマの休日』は53年なので、まさにブームのさなかの時なのだった。
 人間関係をも表す能・狂言を鑑賞するシーンでのカメラワークでの表現。室内での複雑なカメラワークを駆使しつつ、その画面のつながりが自然ではないことを観客にも気づかせるぐらいの極端さを出して、それを見せ場のひとつにするのは、デ・パルマ映画などで何度も味わったが、デパルマはきっと、溝口にあこがれてもいるのだな、というのは、こういうのを観ると感じる。

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