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2013年5月24日 (金)

あるホラー的空間を示す壮絶な手本的ラスト近く『浪華悲歌』

『浪華悲歌』於・シネマヴェーラ渋谷(溝口健二ふたたび)鑑賞5月18日
 
 濃厚な女性映画へのスタート地点に位置する溝口健二の世界。ひとりの女性が悲しい人生に矛先を変えられてしまう前の、父と子供3人(主人公含む)が生活する家の貧しさを表現するためとでもいうか、外観から捉える室内のシーン。もしくは、柱や壁など、常に視野にはそれを遮るものが存在する空間での食卓。それと相対するのが、主人公が、愛人として上司と行動をともにしている場で、上司である男の妻に発見されるシーンでの空間の広さ。
 ひとりの女性の悲しい顛末ではあるが、それは時代性というものもあろうが、やはり冷静な視線で語られる。色気のあるドラマという側面ではなく、その「この女性の場合」とでもいうべき現実的なストーリーが淡々と進行していく。
 ショッキングな事件が起る、というのでもない。というか、人々の日常にとってのひとつのショッキングな事件である、家族からの拒絶を突きつけられるシーンは、まさしく、ひとりの女性が無残に殺されるシーンを見せるのに匹敵する、どうしようもない怖さと悲しさがある。このラスト近くの数分間の映画的空間は、そう「人が殺される、ということ以外のホラー」の壮絶な手本であろうかと思う。 
 
 ここでホラーとは何か、なんて考える。必ずしも、人間の誰かが殺されなくても「絶望的なものとの戦い、そしてその勝利もしくは敗北」を描かれている場面はホラーなのでは、と思う。

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