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2013年5月13日 (月)

音楽はデイヴィッド・シルヴィアンなのである『シャーリー リアリティのビジョン』

『シャーリー リアリティのビジョン』
於・新宿パークタワーホール(イメージフォーラム・フェスティバル2013)
 
 いわゆる「実験映画」なるものを機会を設けて観る、という行動をとったのは、多分、20年ぶりぐらいではないかと思う。自分にとっては、「実験映画」といえば伊藤高志『spacy』でありパトリック・ボカノウスキーの『天使』である。ため、あくまで映像の実験であって、具体的な社会性と直接つながる、という発想は今までなかった。
 『シャーリー』は、この取り決めからは外れてはいけない規則を自分の中に持っている。それは「エドワード・ホッパーの絵画の中の世界である」ということである。絵画をモチーフにした劇映画はいくつかあるが、それらは、その絵画をめぐる秘話みたいなものであって、『シャーリー』が根本的に異なるのは、ホッパー自身の物語とは、直接的に接点は持たず、絵画の構図の中で生きるシャーリーという架空の女性の物語である、ということだ。
 徹底した人口的な世界は、フェリーニ『そして船が行く』やラース・フォン・トリアーやピーター・グリーナウェイの諸作にも、それに似た発想はあるけれども、『シャーリー』の現代史的なものとの密接さはハンパではない。こういったアート・フィルムは、物語はあっても、観念的に終始する印象があるが、これは、正確な年代に則っての、時代の状況と正確に調整しようとする、アーティストというよりも学者的なものがそこにある。
 ホッパーの中の女性はシャーリーと名乗り、波乱の人生を生き、時代のラジオ・ニュースや、なんと彼の存在自体が現代音楽のようなデイヴィッド・シルヴィアンがアコースティックなバックで歌ってくれる。(音楽担当は、クリスチャン・フェネスと共同名義)

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