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2013年6月17日 (月)

悲劇にも涙を流す以外の味わい方がある。『遊び』

『遊び』於・ラピュタ阿佐ヶ谷(映画プロデューサー藤井浩明大いなる軌跡)
鑑賞6月16日

  起承転結ではなく、ひたすらに落ちていく話である。物語かどうかも分からない。若い二人が、ただ転落していく様を冷淡に見つめる映画である。ふたりは、自分が平凡だ、と意識している。確かに、彼らの回想と思しきシーンを見る限りでは、多くの家族においてありそうな貧しさの不幸である。
 その回の観客の話し声で、「あれは回想じゃなくて、妄想だろ。自分たちを不幸に見立てているんだろう」旨のことを話している。確かに、過去のシーンは「回想」として組み立ててあるので、全くもって事実と限らない。確かに、あれらの回想シーンは、逃げようのない境遇であり、彼らに同情を呼ぶことにしかなり得ない。
 確かに、自身に都合のいい?シーンのみを回想しているかもしれない。途中からは、自分たちの死をもう意識し始めて、覚悟をもって精神状態を生きている。追い詰められていく快感とでもいうのだろうか。
 もちろん、この映画は、定まった悲劇の形としてあるもので、社会派なわけではない。死に行く物語が美しいのではない。この映画は、そういうものだ、ということである。そして、涙を流してもらおう、というものでも、だから、ない。悲劇は、必ずしも、涙を流す以外の味わい方がある。

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