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2013年6月28日 (金)

ドラマ性を拒否する女たちのクールさ『晩菊』

『晩菊』於・神保町シアター(松竹三羽烏 華麗なる映画人生)

  「その後の物語」感の強い物語である。物語の輪郭がわかるや、思い浮かんだのは『スウィート・ヒアアフター』であり『トスカの接吻』である。
 かつて、お座敷を華やがせた女性たちが、引退して、現在を生きている。昔の話に花が咲くと、生き生きするのはもちろんだが、この映画に登場する女性たちにひきつけられるのは、そんな状況において、ちょっとしたグチはいいつつも、現在の生活も楽しんでいる様が見て取れるからである。
 多くのドラマならば、そこでしめっぽくなってもおかしくない、子供たちとの別れや、だらしなくなった昔の男の現在を見るにつれても、それさえも「楽しかった過去をありがとう」とでもいうべき心持で対している。
 華やいだ生活は過ぎた時代のため、彼女たちは、自分たちがことを荒げても不思議でない事象をさらりと受け流す。なので、心地よく、粋な時間が流れていくかのように、映画は進む。
 男たちのだらしなさは、女たちの引き立て役だろうし、そんな状況を演じるのも、楽しかろう。
 何も起らない日常のスケッチのようで、そうではなく、考えぬかれたエネルギーによって、ドラマは未然にふさがれているのだ。ドラマが起らないことの心地よさがよしとするならば、「心地よくないドラマ」こそがストーリーテラーに最もあってはならないことなんだろう、と粋に諭されている気さえする。

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