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2013年6月30日 (日)

スペクタクルだが、観るのは細やかな心情表現『インポッシブル』

『インポッシブル』於・新宿武蔵野館(鑑賞6/24)

 ものすごいディザスター映画のように見えて、この物語が全く違うのは、この映画は、一家族の数日を描くものである、というハッキリした姿勢があるからで、巨大な背景がありつつも、強烈な一点集中で見せる。なので、スペクタクルであることはあるのだが、物語は、この家族5人のメンタルにのみ存在するのである。
 出来事のみを反芻してみると、ラストにたどり付くまでの道筋は整然としているし、そこに、いわば驚くべき事実、真相というものがあるわけではない。
 ものすごい絶望感を共感させるためか、の初めの、その瞬間の描写はおそらく生々しい。感覚が一旦停止してしまうが如くの無音ブラックの世界。巻き込まれたときの、容赦ない音響の数々。今回の物語の映画化の動機ならではに許される手法であるべきだと思うし、だからこそ以上に、今後も、いろんな「災害映画」がもし作られるとしても、その動機にしろ描き方にしろ、この動機ゆえにこう描く、という理由付けははっきりさせないと、映画としてのよりどころは失っていくだろうとは思う。
 後半、希望が見えた時点からのベラスケスのメロディは、モリコーネというより、ちょっとオルトラーニを思わせた。美しいメロディだが、そこは真摯に向き合って、間違いない仕事ではあると思う。
 もうひとつ、バヨナ監督について。『永遠の子どもたち』そして『インポッシブル』の2作について、おそらく多くが共通項を見出してしまうであろう、母と子の物語。そして、この「母性」が、子供全体に及んでいることを意識しているところ(他人の子供の幸福をも祈る意味)まできっちりとおよばせているところ。

 パンフレット。削りたくなかった、といわんばかりに、少ないページ数の中に、ぎりぎりの余白も取り払っての文字要素。まず、スタッフ、キャストのフィルモグラフィーは詳細を極め、特に現代スペイン映画のスタッフで固められた部分は、日ごろあまり接しない部分なので詳細はありがたい。インタビューは主演3人、監督。そしてプロダクション・ノートだが、いずれもなかなかの文字数。
 コラムは、三方。宇野維正氏(映画ジャーナリスト)が、監督よりの作品論、杉谷伸子氏(映画評論家)が俳優よりの作品論、大場正明氏(映画評論家)が描き方についての論考になっている。
 さて、三方の、現実の事象の論考ではなく、あくまで映画論が掲載されるのは、これはこれでありと思うが、ふと、思ったのが、もちろん、観ていない映画のパンフレットを読むことにも意味はあるが、パンフレットは、まだその楽しみ方は一般化していない(映画館以外の入手ルートも少ない)ので、補足知識が必要な場合に、それについて書かれるのは、もっちも初めの理由と思うが、それ以上に、「この映画はすばらしい」ということを理論武装したのみの原稿が並ぶことに疑問を覚えずに入られない。というのは、例えば、それは、すでに購入したCDについているライナーノーツの内容も同じなのだが、「この映画を見て、感動した人たちの、次のステップ」はどこかに明解に知らされるべきなのじゃないだろうか、でないと、その読者にどれほどまでの意味をもつものだろうか、ということだ。もちろん、いい映画にも、いろんな見方があるので、例えば今回の作品であれば、大場氏の論は「こういう見方もある」論で、これは、はっきりとしているが、「そんな映画は、例えば、これも」と進みたいところで、ちゃんと大場氏の論は、次に提示される作品がある。これは、映画パンフレットの中での映画論の理想の形ではないか。と。

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