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2013年6月27日 (木)

原節子の周りには、いつも似た人間関係がある。『めし』

『めし』
於・神保町シアター(特集・松竹三羽烏 華麗なる映画人生) 鑑賞6月23日

  心地よく安定した幸福感と思いつつ、それは、いつしか壊れるかもしれない、という理由なき不安は、おそらく、一組の男女からのみ成り立っている「家庭」のシンプルゆえに、いかようにも深くもぐりこませられるドラマ性を作ることが可能で、それ、つまりドラマは、原節子が不安げな表情を土台に、それを隠すかのような、少しひきつった微笑みを見せることで、それはお約束事のように、回転し始める。
 原節子というキャラクターは、微笑んでいるが、心の中は、きっと・・・・というような箇所が最もど真ん中である。彼女の周りには、優しく優柔不断な連れ添いの男、そして、その男にもある種のそぶりを見せて奔放に楽しむ少女といってもいい娘がいる。この三人の人間関係が、原節子ドラマのパターンであろうか、と思う。ドラマによっては、その要素は、バリエーションを見せるが、原節子自身がぶれることはない。
 最も日常的なのだろうな、と思われるのは、このヒロインが、夫との生活以外に、少し心をはせてみて、どうなるかを実行しかけるくだりでも、決して、一線は踏み越えずに、それは、少し、ほんの少し危険な雰囲気を香らせて終わるということ。
 今となっては、時代背景なども、異空間的に、リアルタイムの空気を知らない人間には、楽しんでしまうのだが、公開当時は、あくまで現代劇で、いわば、ある一組の夫婦の、ちょっとさざなみが立ったかもしれない期間の、物語ともいえないスケッチだ。

 ある時代までの映画におけるスター俳優たちについて思うのは、次から次へと撮られる作品への自分の存在の刻み方だが、それまでの自分がまとってきたイメージを100%応用して、観客に語りかけている。『めし』のヒロインも、それまでの原節子が演じてきた役どころでイメージされる性格が、そのまま、この映画のヒロインのバックボーンに、ムードとしてはスライドさせるのだ。膨大な数の物語を演じていた役者たちならではに許された手法だったのだろう、と思う。

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