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2013年6月25日 (火)

エリカとイズミの存在理由『クソすばらしいこの世界』『かしこい狗は吠えずに笑う』

『かしこい狗は吠えずに笑う』(6/23鑑賞 オーディトリウム渋谷)、
『クソすばらしいこの世界』(6/22鑑賞 ポレポレ東中野)

『かしこい狗は吠えずに笑う』は「狗」、『クソすばらしいこの世界』は「世界」と略します。

 さて、「狗」と「世界」の明らかな類似点は、ラストシーンにある。ある種ホラーのお約束的収束方法の、襲われた側の襲う側への一見同化は、この2つの作品の落としどころに困ってしまった観客には、ある意味、安らげさせられる表現である。
 「世界」の大きな特徴は2つあって、まずひとつは、主人公が、一見ひとりではないにも関わらず「孤独」である状況であり、その次が、あの「転校生」状態で発生してしまう殺人鬼化したエリカの存在である。
 この後半エリカと同じ効果を物語りに起こさせるもの、「狗」ではイズミがその役割を担う。「世界」は、まわりが何もない荒涼とした世界という具体的な舞台であるのに対し、「狗」は、平凡な町のひと風景ではあるが、完全ないじめられっことして存在させられている自分は、頼りになるものが何もないものを感じる状況も、荒涼な砂漠である。
 この「エリカ」と「イズミ」は、「襲う」側と「襲われる側」を行き来している。そして、それゆえに状況を理解しようというのではなく、どちら側にもいない自分に破綻を起こしている。
 そして「狗」も「世界」もヒロインは、つまり、怒りを爆発させたあとに一線を踏み越えてしまった感じを起こす。そう、アジュンも美沙も、もともと楽しい状況として描いていないので、物語的には、地獄からひとり脱出する、その感覚だが、狂気を経験したあとの、「もう昔の自分には戻れない自分」を感じている。その部分を時間をかけて描いていることで「ホラーの型を借りた女の子の心理のロードムービー」的なものを大きく感じることができる。
 ラストは、「世界」では極限状況で聴こえていた「メロディ」がトラウマ化したもの、そして「後半エリカ」とシンパシーを感じたかもしれない、心にポッカリあいた穴のようなものの象徴とでも言おうか。「狗」は、「イズミ」が辿った狂気の道筋に美沙も立っているのかもしれない、という、あくまでやはりある意味現実的な状況も踏まえた物語ゆえのメッセージとしての普遍性(彼女たちは、特別では決してない、ということ)を感じさせるか。
 もうひとつ気になったのは「世界」がとどめをしっかり映画の中で描いているが、「狗」は描かない、という物語方だ。「狗」は回想劇なので、あえて描かずに語る、という進め方が可能なので、ホラー感を最終的に印象付けさせないために、そこは直接描かない、という風に考えてみる。
 いずれにせよ、衝撃的な部分をもつ映画は、巧妙に、その影に隠れた感覚をあいまいにしかねない。が、ホラーではないタイトルを2本の映画がもったことで、注意を逸らされずに済んでいる、自分は、そう感じた。

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