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2013年7月15日 (月)

『トイ・ストーリー』的なものへのアート映画からの考察『自分に見合った顔』

『自分に見合った顔』(於・ユーロスペース/特集・ポルトガル映画の巨匠たち)7/13鑑賞。

 ミゲル・ゴメスの二部構成攻撃は、この後の『熱波』にも通じる。
 そして、初めのテイストは、ミシェル・ゴンドリーを初めとした、音楽をジョン・ブライオンが担当するあたりの、大人になりきれない人間たちのドラマの、いろんな意味での可愛らしさを感じるのだが、この二部めで、混乱をきたす。
 混乱といっても、トーンは、このトーンは保たれたままである。そして、ふりかえれば、二部の物語を始めさせる伏線が一部では張られている。いわば、二部というゲームの、抽象的なルール説明が一部でなされている、といっていいと思う。
 この「ゲーム」の長さについてが、自分には気にかかったところで、ある種のアイデアの意味合いに気づくと、あとは、キャラクターたちにのれなければ、なかなかつらいもので、その意味で言えば、「可愛い男たちのおしゃべり」が好きな方には、面白いものであろうかと思う。これは、日本だと、女子ターゲットのドラマ、アニメで多く用いられている手法であって、ひょっとしたら、そのアイデアを逆に取り入れているのかもしれない、とも思う。第二部だけの舞台劇が、若手男優たち主演で行なわれたり、というのはごくごく自然にありそうである。
 さて、それはともかく、これはミゲル・ゴメスの『トイ・ストーリー』的な物語へのアート映画からのめくばせともいえる。一見、主人公の夢の物語に見えるが、「自分の病気よなおれ」というテーマの夢をすぐ直接的に見ることはあまり自然ではないので、病気の主人公の気づかないところで、第二部の七人の男たちは行動していると思われ、これは、みんなが寝静まったところでおもちゃたちが動き出す発想と同じである。
 結局、映画は、その男たちの物語のみで終わる。というこで、こちらが描きたかったことなのだろう、ということがわかってくる。
 そうそう、この映画における、漫画チックな演技のデフォルメは、ウエス・アンダーソン映画の、作られた世界の楽しさと似たところがある。
 映画表現のもつ明らかな「不自然さ性」の強調は、ミゲル・ゴメス映画の存在理由のひとつのようである。つまり、ゴメス映画は、狭い意味でのリアルからは離れようとする。
 アメリカにおける新しいアート・ムービーの香りと近い表情の作品にこの作品はなっているわけだけれども、映画はどうあるべき、の反逆の反逆みたいなところで、実験がなされている、ということなのだろう。

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