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2013年7月 1日 (月)

シンプルさの快感『小さな逃亡者』『恋人たちとキャンディ』『結婚式と赤ちゃん』

『小さな逃亡者』『恋人たちとキャンディ』『結婚式と赤ちゃん』
 於・アップリンク・ルーム
(モーリス・エンゲル=ルース・オーキン特集)鑑賞6/29

 それは、例えば、トリュフォーやジャック・タチそしてラストはカサヴェテスを思わせるということはいえるのだが、この、特に前2本の存在は、多分、ドラマとしてのバランスは欠いてもいいから、観たい場面に遭遇したら、その場面は長く見せ続ける、そしてそれが独特のユーモアになっていたりする。そして、未たい場面が長いことによって生じるのは、シンプルなストーリーである。『小さな逃亡者』は、弟が遊園地で遊ぶシーンがひたすらに長いわけで、その長さの中で、本当は逃亡の意味や、自分が逃亡者であることを隠したいための工作であるとかからはじまっているはずなのだが、もう、ただ遊んでいるだけに純化されてしまっている時間がかなりある。この逸脱する感じが、長い短編『小さな逃亡者』を楽しませる要因だろう。

 『恋人たちとキャンディ』でのしつこさといえば、なんといっても、博物館内の池の真ん中に進んでしまったヨットを取り出さんと四苦八苦するくだりだろう。こここそ、必要以上に長く見せることが、オフビートな笑いを生み出している。映画が始まってから、ずっと登場人物たちの心の距離はほぼ変わることがない。そういうものであるし、この絶妙のバランスこそが、よい状態といわんばかりに、まるですれ違いを本人たちも楽しんでいるかのようにすれ違い続けている。

 モーリス・エンゲル単独で撮っている『結婚式と赤ちゃん』は、前2作にあった無邪気さを受け持つ人間が主人公たちで見当たらず、周囲の人間たちによって演じられる。ひょっとして、ルース・オーキンとともに撮っていたならば、「赤ちゃん」の意味がもっとクローズアップされたかもしれない、と思えるほどに、この物語は、いわば、タイトルのような世界を夢見ながら、現実化できない物語なのである。

 いずれも、独特のシンプルさが漂うことは間違いない。この、シンプルさゆえの快感は、個人映画てきなものだからこそ生み出されるものなのだろう。

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