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2013年7月18日 (木)

個人的映画音楽考察総括その1 イタリアン・サントラ界において、 孤立するメロディメイカー、ステルヴィオ・チプリアーニについて。

 個人的見解多めで、一度、サントラ全体に関しての考えることを、まとまった文章にしておかないといけないな、と以前から思いつつ、実行していなかった。いよいよ、してみようと思う。

 まず、やはり初めは、ステルヴィオ・チプリアーニについて、書いておかないといけないでしょう。
 これについては、何度か書いていますが、私が、初めてスクリーンで見た洋画が『ラストコンサート』であり、おなじみ、『カサンドラクロス』との二本立てで、ラスコンを先に見たため、こういうことになっている。
 自分にとってのチプリアーニのトラウマ的ベストは『ラストコンサート』ではなくて、『テンタクルズ』である。理由は、やはり、ジャンルにミスマッチな音楽、ということもあるだろうが、作品への評価としてのトホホ感との対比でのいとおしさのようなものもあると思う。
 今となっては信じられないが、イタリアン・サントラのCD化がコンスタントになされるようになりはじめた頃は、チプリアーニの音源は、全くといっていいほど、とりあげられていなかった。当時は、DJたちにも愛される面白いビートのものメインなところがあったため、ビートというよりもメロディで聞かせたチプリアーニの音は、なかなかとりあげられなかったのだと思う。
 なので、日本で『ラストコンサート』、そして『モア・アモロッサ・チプリアーニ』『シニョーレ・チプリアーニ・テンポ』といった選曲盤がリリースされるにあたって、日本での人気がどうも目立った用でもあった。
 チプリアーニの人気の一端にマカロニウエスタン側の要因もある。ただ、その頃は、代表作といわれた『荒野の無頼漢』も『盲目ガンマン』も、CD化されるのは少し経ってからなので、現在の充実したリリース・ラインナップの方向に舵をとることになったハシリは、多分、ディジットムービーズが『殺人魚フライングキラー』を発売したところからだろう。
 チプリアーニの音に愛着をもってしまう理由には、多くの作品が、いずれも、初めて聞いてもすぐにチプリアーニ節とわかる、独特のメロディまわしをもったメロディを、ストレートに出してくるところにある。そして、珍しいのは、そのチプリアーニ的メロディ展開が、他の作曲家の作品で聴けることがほぼないのだ。イタリアン・サントラにおいて、チプリアーニのメロディだけが、明らかに浮いているのである。
 イタリアのサントラ・コンポーザーたちのメロディの多くは、陰をもった美しさがある。だが、その逆で、チプリアーニのメロディは、一見哀しいメロディでさえ、明るさが聴こえてしまうのである。
 チプリアーニは、マンシーニに憧れた、という話で、そう考えると、マンシーニのメロディも、一見哀しくても、明るさももつロマンティックさをかもし出している。が、マンシーニには『ひまわり』といった、それは明るさではないだろう、的な名曲がオードリー後に存在する。チプリアーニは彼にとっての『ひまわり』的作品は、今のところ、見当たらない。
 ただし、その例外ない明るいロマンティックさ、これが結局チプリアーニものを特別なものとして際立たせる要因になり、新たな発掘の作品を聴くたびに、それをまた証明させられるようで楽しい。そんな状態が続き、現在のチプリアーニ作品、続々のCD化、となっていると思っている。

 次回は、こうなると、ダニエル・パトゥッキについて書くことになろうかと思います。

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