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2013年7月25日 (木)

生々しさと清潔さの乖離『爆心 長崎の空』

『爆心 長崎の空』於・東劇
鑑賞7/20

  真正直な映画を観たい衝動に駆られたのと、そんな様相の映画でありながら、主演が北乃きい、と知って、どんな表情を見せるのか、という興味もあって、のぞむ。
 これは映画そのものではなく、物語についてだが、長崎を舞台にしているが、(そう、さらに観る気を推したのが、ものすごく長崎らしさが出ている映画、という感想をどこかで見たからだ。で、ご当地映画趣味も手伝った。)物語の核を成すのは、現在の死と生の物語である。
 登場人物たちの中でも3人の女性が物語を牽引するが、彼女たちに共通するのは、ある死についての責任を自分はもっているかもしれない、という自責の念である。
 ともすれば、内にこもって、身動きが取れなくなってしまうドラマのために、例えば、主人公たちの中で最も若い北乃きいは、ことごとく、自転車やランニングなど、走るシーンを強いられる。
 気になるのは、この物語におけるラブシーンのあり方で、いずれも必然ではないと思うのだが、物語を洗練させずに、生身の人間の、肉体全体での苦悩、その感じを出すためには、あったほうがよいのかもしれない、というのは黒木和雄監督からの流れでの生々しさとして納得する。が、そうすると、そのシーン以外のあまりにもの清潔感とが、ちょっとかみ合っていないギクシャクした感じもする。 
 劇伴をピアノソロにする、というアイデアは、もうこれ以上ウエットにする必要はないだろうドラマのための音楽としては、正しい判断とも思える。そこで思ったのは、そういえば、ピアノソロを劇伴とする映画って、ほとんど思い当たらないな、ということ(マイナーだが、ベイジル・ポルトゥリス音楽の『ラスト・パーティ』が思い浮かんだが)。

 パンフレットは監督、主演へのインタビューが詳しく掲載(文・野村正昭氏)。コラムは映像評論家・映像作家の波多野哲朗氏による作品の印象論、若松英輔氏の、映画を離れて宗教論一般的な言及の原稿。

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