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2013年8月24日 (土)

『はいかぶり姫物語』の長回しからいろいろと思うこと

『はいかぶり姫物語』於・映画美学校エクラン(鑑賞8月11日/PFFスカラシップのすべて)

 この2本だけじゃないんだろうけれども『はいかぶり姫物語』のリメイクをあたかも見たように、『返事はいらない』を観て思ったのは、主人公2人の関係性はもとより、「着るシーンの長回し」にある。はいかぶりは女性、返事は、は男性が、それぞれ着るシーンだが、ともに、コトがあったあとの着衣である点は似ている(ただの寝起きではない)。
 着替えを見られるのは、全裸状態を見られるより恥ずかしい、とはよく聴くので、着替えは、全裸以上に、プライベートなものを見ている感覚が起こるのではないか、と思う。そして、脱ぐ方は、脱いだ後の方に観るものの意識もいってしまうので、着る方を見せたほうが、その瞬間への興味が湧くことになる。また、プライベートな状態から、少しずつ、外向きの姿に変わっていく様を観るのは、ある意味「変身」する瞬間を見ることができている、といっていいのではないか、と思う。
 『はいかぶり姫物語』における長まわしは、その1シーンの間に、何度も複雑な心理推移が男女の中で起こるのを見つめようとする。カットわりだと、その心理推移の理由を推測する楽しみを見る側に与えるのだが、長回しは、その普段見せない部分を見せるわけで、着替えシーンを見せるようにプライベートを見せる感がやはりある。
 『人のセックスを笑うな』の井口監督が書くか答えるかしていたと思うのが、役者がすばらしい演技、動き、輝きをみせている時に、当初から予定している時間数で紋切り型にカットするのではなく、すばらしい瞬間が続いているのだからもったいないとばかり、つい長く回してしまう、というところ。『人のセックス』は、必要以上に上映時間が長いと思うけれども、井口映画のそれは、物語を語る以外のところで、上記のような考えの下に、観客としての監督のわがままをそのまま実現させている、まさしくぜいたくな時間を同時体験しているわけで、これはこれですばらしい映画体験ではある。

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