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2013年8月18日 (日)

説明のつかない感情を説明すること『世界グッドモーニング!!』

『世界グッドモーニング』於・オーディトリウム渋谷
鑑賞8月12日(廣原暁監督特集)

  20代前半の頃の作品のため、主人公の少年の心情を見事に描写、というよりは、自身の感情を映画言語に翻訳することにすでに長けている、という言い方の方がよいのかもしれない。
  私が、このもやもやの端的な要因として興味を引かれるのが、「母親が用意するコンビニ弁当」であり、ある事情で、部屋に入れてもらった女性が用意する「おいしくなさそうなケーキ」である。特に前者は、今まで、劇映画の中で観た記憶がないのだが、あまりにもリアルなひとつのように思えてしかたがない。女性の部屋の雑然さも、あまりにも今までの範囲内での映画的光景とはかけ離れているがために、映画の中において「非日常」さをかもし出す。
  女性の部屋を訪ねたときから始まる、少年の、ある意味冒険旅行は、だが、しかしアッパーさを全く持たない。動機が後ろ向きなだけに、冒険的な感覚は全くない。できれば近場ですませてほしいぐらいの勢いである。
  少年は無表情で、感情は顔にではなく、体で表現している。大体、自分に与えられるいろんな情報が、自分にとって、喜怒哀楽のどれに導かれるものなのか自体がわからないものだし、そして、彼の中には、もういいや、ホッポリ出してしまおう、という感覚になっても構わない、逃げへのバッファが常にある。負の余裕とでもいうのだろうか。
  非日常な空間の中での、孤独な思考は、いつものそれとはちがうはずだ。別に、何かの答えを見つけたというわけではないのだが、ひとつの区切りをつけた象徴のように、彼の心情のかわりに気球が飛ぶ。
  こういった、「説明のつかない感情」の説明、ほど、映画的なものはないだろう、と思う。文学よりも、それは映画のものだろう。

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