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2013年8月25日 (日)

まるでプレイボーイの別れ際のような『テイク・イット・イージー』

『テイク・イット・イージー』
(於・神保町シアター/吉川晃司映画祭)
8月23日鑑賞。

 最終作品であることを思いっきり意識した第三作。過去ニ作では終盤で登場していた宍戸錠は初盤に登場し、今回は音楽面も、よりしっかり見せたいとばかり、長めのライヴシーンから始まる。思いっきり、伏線ですよといわんばかりの伏線が引かれ、観るものを覚悟?させ、ラストは、PV風に終わって見せる。
 ただし、『すかんぴんウォーク』の親しみやすいカッコよさ、娯楽アクションの小気味よいテンポに徹した『ユー・ガッタ・チャンス』に比べて、「今回は、この感じでいくので、よろしく」的な調子にはならない。強いて言えば、三部作の中で、最も、ラブストーリー色が濃い、ということだろうが、その部分に特化することなく、オールジャンルなアイデアは次々繰り出されているので、テンポは統一されることはない。まるで、この混沌さが「裕司シリーズもそろそろ潮時ですよ」感を表現しているかのよう。これは、そろそろ潮時なタイミングで、まるで女性から別れを切り出したくなるように仕向けて去っていくプレイボーイのようである。計算された不器用さの気がする。
 吉川三部作は、いわば後のタランティーノ作品のように、過去の映画たちへの膨大なオマージュで仕上がっている、そこがオリジナリティとでもいうべき作品群である。が、その吉川三部作へのオマージュが、後の邦画などに登場するわけだから、映画の楽しさは受け継がれていくのである。
 吉川三部作の場合、映画ファンならずとも見るであろう、トップ・アイドルのアイドル映画で行なえたことが意味がある。そのために、ここから映画人生が始まった少年少女も少なくないだろうからである。

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