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2013年9月19日 (木)

語りかける「モノ」たち。『ハーメルン』

『ハーメルン』於・ユーロスペース(鑑賞9月15日)

  もし、モノを擬人化させられるのであれば、人間でなく、彼らが語り部となるだろう、というほどに「モノ」に想いを託している映画である。
 人形、時計仕掛けのオルゴール、コーヒー、折鶴、ピアノ、8ミリ映画、そしてタイムカプセル。そして、その構成で面白いのは、実際に登場するものもあれば、登場しないものもある。その「モノ」の存在が、物語のある部分の象徴として作用しているのだ。
 後半に指しかかかっての、西島氏扮する静かな主人公が、感涙する場面がある。この場面は、思わず、そうきたか、とひとり「おお」と感心してしまった。
 『夏の終り』同様、『ハーメルン』も、沈黙が多くを支配する作品だが、沈黙の理由が違う。前者は、沈黙のシーンをあえて選んでいるわけだが、『ハーメルン』は、おそらく、登場人物たちの生活のどこを切り取っても、同様の沈黙具合だろう。わかりあっているものの落ち着いた沈黙と、過ぎ去りし日を想い、過去の時間と心で対話しようとしている、そんな沈黙である。そして、今回の沈黙の方が、今までも表現されてきた形式であろうと想う。

 ラストは、この映画なりの『マグノリア』か『フィールド・オブ・ドリームス』か、といった感情の美しい昂揚といえばいいだろうか。多くの疑問は、解消されずに映画は終わるが、疑問することから生じた自身の心持の変化の方に重きをおきたい、という姿勢は、映画で語る「物語とは何か」的な根本をも自由にしようとするものであり、刺激的です。

 パンフレットは、スタッフ、キャストの詳しい経歴と、監督によるプロダクション・ノートのみ。第三者による原稿は載せていない。

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