« 語りかける「モノ」たち。『ハーメルン』 | トップページ | ”ビザンチウム”を活かさないことから考えること『ビザンチウム』 »

2013年9月24日 (火)

実はありえないファンタジー感こそがロメール流『恋の秋』

『恋の秋』(於・神保町シアター)9月21日鑑賞。

   一見、ナチュラルに流れているように見えるエリック・ロメールの、恋愛こばなし系の作品は、実は、ものすごく精密に作られているからこそ得られる快感なのだろうな、と思う。
 それは、会話のテンポ、発声の抑揚の統一。そして、表情の統制。
 登場人物たちは、心情の大きな波を見せない。他の監督作品なら、ここで登場人物の誰かが、感情を爆発させるだろう、というような展開中も、静かにとおりすぎる。これは、ある意味、映画の中ではなく、現実でのリアルな反応に近い。ただ、登場人物たちに降り注ぐ事件や偶然が、現実とは切り離されているので、ここで映画的事象と日常的反応の化学反応がある、ということだろう。
 まるでローカル線の旅といいながら道中は見せない、かのように、次の事件までの経緯をすっとばす。それが、「時はたって」的なアクセントを入れるのが通常のところを、全く隣の部屋に移るだけのようにシーンチェンジするので、そこでおかしみがある。
 この中をすぱっと抜いたシーンチェンジこそ、ひょっとしたら、ロメール映画のファンタジーたるところではないかとも思う。本来は、時は経っているはずだから、その間の心の微妙な推移はあるはずなのだが、それがないのだ。本当に、隣の部屋に、今来たところのように、次のシーンに移るのだ。なので、地味にポップだが、これ、ひょっとして、登場人物たちが都度テレポーテーションし、タイムトラベルを行なっているかのようなのだ。

 ということをとりあえず考えつつ、ロメール映画は、いろいろな工作で、巧妙に、ありえないファンタジーになっている。そのありえなさこそを味わいたいから、一見SFでもなく、身近そうに見えるロメール・マジックを見るのである。

|

« 語りかける「モノ」たち。『ハーメルン』 | トップページ | ”ビザンチウム”を活かさないことから考えること『ビザンチウム』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92257/58259010

この記事へのトラックバック一覧です: 実はありえないファンタジー感こそがロメール流『恋の秋』:

« 語りかける「モノ」たち。『ハーメルン』 | トップページ | ”ビザンチウム”を活かさないことから考えること『ビザンチウム』 »