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2013年9月11日 (水)

人々の優しさとは無関係なところで戦争は行われる『誓いの休暇』

『誓いの休暇』於・シネマヴェーラ渋谷9月1日鑑賞

 この物語は、組み立てとしては、『ニューヨーク1997』とも同類の、タイムリミットものなわけですが、その中で、さまざまな戦争の悲劇を人生の縮図のように相次いで体験していく、というオムニバス的な構造。今風にいえば、ゲーミフィケーション的で、人生ゲーム的な「誓いの休暇」ゲームもつくることはできるだろう。
 限られた時間の中で、自分は何を達成できるか。もちろん、故郷に帰ることが第一目的だが、その間に、べつのさまざまな意味が発生してくる。
 会いたい人に会う、という行為は、それこそ、テレポーテーション技術が発生しない限り、もしくは交通手段がより速く安く日常的にならない限り、通信手段と違って、代替方法があるわけではない。ここで語られる切実な思いは、現在も古くなることなく、共有することができる。
 
 そして、このドラマで気づいておきたいのが、これは戦争映画であるはずなのに、映画本編の中で「争いあっている人々」など、登場しない、ということだ。庶民の日常は、こうやって助け合って仲良く生きているが、国の事情で戦争が始まると、自分たち個人個人の優しさとは全く別次元のところで、悲惨な状況が展開してしまうことになる。
 若き兵士の、その後の運命は、観客はみな知っている。だが、そんなことはつゆ知らず、物語の中の若い兵士は、さまざまな出来事や出会う人々に心地よい感動を覚えたり、少し、心を痛めたりしているのだ。

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