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2013年9月 3日 (火)

美しさの前に動画でなくなる映画『楽園からの旅人』

『楽園からの旅人』
於・岩波ホール(鑑賞8月25日)

 この映画は、同じく岩波ホールで春に上映されていた『海と大陸』と対を成すものである。すなわち、イタリア映画における、難民(不法入国者)との対峙の物語それぞれ、ということで、『海と大陸』は、そこに世代のうつろいと少年の成長をダブらせて、動きのあるドラマとしたが、こちらは、退いていく司祭の姿と合わせて、静の状態で、動までも表そうという、舞台劇的展開である。
 宗教のまさに直下の中の状況で、難民として登場し、教会の中に暮らし始める、黒い肌をもった美しい人間たち。直接的に語りかける社会的な悲劇とは異なる、その映像こそが見せる、悲劇の中の、絵画のようなシーンの数々は、悲しさではなく、心地よささえも感じ取る。それは不謹慎とかじゃなくて、そういうことでは計り知れない美しさ、でもいうのだろうか。力になる、助けになるどころか、彼らの圧倒的なオーラにただただひれふすばかり、という状態になっているようである。
 ムービング・ピクチャーを撮るつもりが、被写体のあまりの美しさに、画面を動かすことさえ忘れてしまう巨匠たち、それは『パッション』のゴダールや『ノスタルジア』のタルコフスキーや『美しき諍い女』のリヴェットとよく似た動機をもっているだろうか。ただ、その美に酔いしれる感覚は、観客にも伝染するので、それが決してマイナス材料な訳ではない。

 パンフレット。作家・目黒条氏の、岩波の過去作を振り返りながら、本作の感想へ。原稿は、佐藤忠男氏、立教大学・新約聖書学の教授の佐藤研氏、小沼純一氏、監督の短いインタビューとシナリオ採録。もっとも、本作のさまざまな表現を噛み砕いてくれるのは、佐藤研教授の論だろう。

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