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2013年9月29日 (日)

実はシリアスで悲しい物語『ティファニーで朝食を』

実はシリアスで悲しい物語『ティファニーで朝食を』於・横浜シネマ・ジャック

  サントラだけは、もう血となり肉となるほど、聴き倒している作品ながら、意識してちゃんと鑑賞したのは、今回がはじめてである。断片的に有名なカツトは知りつつも、全編見ないと実際がわからない好例とも言える作品である。
 まず、感じられるのが、マンシーニによる、数々の音楽が、あらためて、冷静に考えると、第三者的には「ものすごいミスマッチ」な音楽なのだ、ということ。もしくは、主人公ホリーが、自分がそうありたいと自身にさえも嘘をついて、夢を見ている状態のBGMであって、冷静に、この物語を映像化すれば、そこにはあれほどにスウィートなメロディは流れないだろう。
 前半のマシンガンのような早口トークで、ホリーのニセ者感は出ているが、このマシンガン口調は、作家と知り合ってからは、出てこない。が、時々に現われる一点(一分)豪華主義的シーンで、甘いメロディが生きてくる。が、この場合、甘ければ甘いほど、悲しみが出てきますね。
 「ムーン・リバー」を歌うシーンも、有名だが、あのシーンも「一分豪華主義」に則った箇所であり、彼女の虚の部分を表す。
 とはいえ、彼女ホリーを称する言葉として、「ホンモノのニセもの」という言い回しが出てくるが、ニセモノとして生きる時間しかなかった女性のね本当の物語、というものがポッカリ空いている様を想像して、何とも知れない気分になる。

 そして、自身では気づかないながらも、実は、彼女が演技している、生まれもっての上流社会でのスター的なものよりも、ずっとずっとドラマチックな暮らしをしているのだということを観客は知ることになるが、そんなことをホリーは気づかない。ラストは、ハリウッドとしてのラストに落ち着かせるが、この後もドラマは決して終わっていないぐらいの問題は、残されていて、決してめでたしめてたしではないのだ。

 この、あまりにもシリアスで悲しい素材を、ブレイク・エドワーズならではの執拗なコミカル演出や、不必要に長いパーティ・シーンでのスラップスティックなどを入れ込みつつ、「おしゃれな」映画のフリをする。エドワーズでないとできないワザではあるだろう。

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