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2013年9月18日 (水)

これぞモダンな侘びサビであることか『夏の終り』

『夏の終り』(於・有楽町スバル座)9月14日鑑賞

  精神状態によって、同じシーンでも聴こえる音と聴こえない音があって、例えば、この映画のラブシーンで、顕著に、音の強弱などによって、主人公の心情描写を自然とやってのけているね、ということを感じて、それは、少し前に読んだ『イングリッシュ・ペイシェント』における計算された音響設計を思い出させる。
 舞台の近くに川がある、というのもミソで、多くの歩くシーンなどの中で、薄いカーテンのように水の流れる音は聴こえ続けるのだが、これは絶えず、収まらずにかすかにともり続ける熱情のようなものである。熱情が爆発するシーンでは、大雨になるが、これもビジュアルではなく、声をも掻き消すほどの激しい"雨音"こそが重要なのである。
 
 例えば、小説であれば、緻密な描写を文章で起こしていく部分を、映画は、音響を駆使して、相当な描写をまとまったカットの中に入れることができる。この映画では、動きがかなり少なく、たたずんでいる、もしくは静かな動きが多い。登場人物たちがそういう動きしかしないのではなく、動きの少ない時間を選んで描いているようなもので、それは、具体的な事件ごとの描写ではなく、この登場人物たちの時間の「絵になる瞬間」だけを切り取った、という贅沢な「音響つき動画」なのである。しかも、そこに、説明を省いての時間軸シャッフルがある。着物のトーンや役者の演技で、彼らの人生のどのあたりの箇所なのかを理解させる、というかなり高度なテクニックに挑戦する。
 気づけば、役者選択にしても、ただ佇んだ図が「絵になる俳優」が選ばれている。動きやセリフによる演技への要求は最小限にとどめられていると思う。この、恋愛映画における、時間軸を組み替えることによって生み出されるドラマの濃厚さは、『トゥ・ザ・ワンダー』や『わたしはロランス』でも味わったが、同じドラマでも、コクが出る、というのはわかった。文法にも似ているか。
 僕は、君を殺した。
 よりも、
 僕は殺した、君を。
 君を、僕は殺した。
 の方が、コクが出る。
 
 詩は、行間にこそ、味があるか。いかにも演技の部分ではない部分、セリフは語らない箇所、そこにこそ、最大に豊潤な味わいが出るモダン和菓子みたいな映画とでもいいますか。
 パンフ。竹内紀子氏による原作・原作者論、野島孝一氏の映画論、監督・キャストのインタビュー、そして、なんとその地の物語ではないのだが、ロケ地として選ばれた洲本のロケ地マップ。 

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