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2013年9月 5日 (木)

思い出がドラマの先にある『ジンジャーの朝』

『ジンジャーの朝』
於・シアター・イメージフォーラム(8月31日鑑賞)

 これも、唐突に終わってしまい、ある種、途方に暮れる物語である。衝撃の余韻が癒えることなく、このままではいけない感、旅立たざるをえない状況が提示されて終わる。
 この映画の冒頭数分が、まるで、ラストシーン数分のような幻想感を持って、甘い感覚にひきずられて、思い出のショットをつなぐかのように美しさを強調して進み、そこから、スピードを落として、ドラマは形作られていくが、この、冒頭の幻想性は、本来ならば、ラストに甘酸っぱい思い出として、つづりたいのだが、そういう気分にはなるわけがない苦々しさが支配するため、どこかに青春の幻想を持っていきたくて、冒頭にした、そんな感じか。
 冒頭の何気ない美しさによって、ジンジャーは、ローザを許してるのだろう、とは推測できる。思い出したくない記憶ならば、前半をこのようには描かないだろう、と。
 そして、気になったのは、青春の不安の隙間に、核反対運動に参加しようと積極的になる描写で、この過程をもう少し克明に描いて、大作にしても見ごたえがあるけれど、タイトルが示すように、この映画の描かんとするところは、そこではないのだよな、と。
 しかし、90分ものの青春映画にしては、重厚さを感じてしまって、もっと長くなるところを、相当きったのじゃないかとも思った。
 音楽は、当時の、特にイージー寄りのジャズをスコア的に使用して心地よい。

 パンフ?は、スタッフ・キャスト・プロフィール、イントロダクション、監督へのインタビューなど。コラムはなし。価格記載ないし、プレスの流用パンフ?

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