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2013年9月28日 (土)

キャリーの息子とでもいうべき『クロニクル』

『クロニクル』於・TOHOシネマズ日劇3

 男子版『キャリー』とはいえ、それも、この映画は、スティーヴン・キングの原作の方へのオマージュじゃないかと思う。なぜなら、地の文でなく、すべてが、どこかからの引用という体裁の小説に対する、(ほぼ)すべてが「神の視点ではなく、主人公たちが撮った映像」の引用であるからだ。
 とはいえ、先に余談的なことを書きますが、これが、スティーヴン・キングの息子でも、ブライアン・デ・パルマの息子でもなく、ジョン・ランディスの息子(マックス・ランディス)による脚本である、ということだが、明らかにキャリー世代を今の世代なりに継承したのだ、ということがわかる。
 そして、独創性を感じたのは、音響が遊びすぎなのだが、その遊びすぎで製作した音響をそのままエンドタイトルに持ってきたことだ。すなわち、タンジェリン・ドリームやクリフ・マルチネスもびっくりの、究極の無音階サウンド。ちょっと、この音響のサントラをアナログでほしくなったぐらい。
 そして、何より感心しまくったのは、「超能力によって宙に浮かせたビデオカメラが撮った映像」のアイデアだ。すなわち、映像のブレや動きが、直接登場人物の心の動きであることを暗喩じゃなくて、直接の表現として伝えられるし、映像そのものが中断してしまう、という演出を随所に自然に取り入れることができるのだ。そして、ちょっと実験したい編集なんかも、気兼ねなく実行にうつせる。

 映され、編集されている映像そのものの完成度、という束縛からは逃れられる(素人が取った驚愕映像をそのまま流している態、ということもあって)通常の神視点映画の完成度ではなく、アマチュアらしさを出す、演出の演技が必要となってくる。そこへもってきて、この映画なら、ごくごく自然に、特撮(およびCG)をはめこまなくてはいけない。いかにも、に絶対なってはいけない。という、モキュメンタリーならではの悩ましい点は出てくる。

 パンフレットは製作されていない模様。

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