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2013年10月19日 (土)

映像で見る「副音声」の発想か。『リヴィジョン~検証~』

『リヴィジョン~検証~』
(鑑賞10月11日 山形市中央公民館6Fホール/山形国際ドキュメンタリー映画祭2013)

 今は、慣れたといってもまだ慣れないのが、録音した自分の声を聴くことなのだが、『リヴィジョン~検証~』の興味は、そういったところに繋がる。そもそもの映画制作の出発点が、テーマありきか、この映画の構成手法ありきか、どちらかわからないのだが、「インタビューされた録音を、数分後に聴き返しているところの表情」に興味をもった視点は、おそらく初めてであり、しかも、多くのドキュメンタリーで、その現場はあったはずなのに、過去に記録されてこなかった現場である。
 この「手法の発見」に、自身もまだ慣れていないと思えるこの映画は、まだ「実験」にとどまっているとは思う。というのは、「聴き返した証言者の表情」が浮かび上がらせた事象を具体化させて発展させる、というところまではたどり着かせていないからだ。この映画における証言者たちのほとんどは、まだ「自身の証言している声そのものに緊張している」状況から自由になることはない。
 ここで、思うのは、すべてのドキュメンタリーにいえることだが、もちろん、映画として成立させた部分が、取材した全てではなく、ほんの一握りでしかないわけだから、「映画を一歩進められたであろう素材」は実は存在するが、別の事情で、使用することができなかった、という部分があるのじゃないか、という妄想である。この「使用できなかった素材」については、エッセンスのみを残して、フィクションとして再構成するか、などの工夫を施すしか世に出す方法はなくなるが、この「手法の提示」は、これによつて、成されることになり、これが今後、どう発展させられていくか、が楽しみではある。
 妄想のひとつとして考えているのが、ラストのショットだ。ラストの墓地を歩きながら、後姿を追うシーンは、後姿つまり、表情をとらえることをしていない、ということ。そして、録音を聴くシーンではなく、証言そのものをしている箇所だ。この証言は、作品中にどうしても採用したかったが、表情を映すことがNGだった。その解決策として撮られたのではないか、ということだ。

 ザッツ・エンタテインメントじゃないが、映画諸作の「告白シーン」ばかりを集めたオムニバスとかあったら面白いだろうな、と思う。

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