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2013年10月26日 (土)

ケシシュドラマの転がし方の快楽を考える『クスクス粒の秘密』

『クスクス粒の秘密』(於・アンスティテュテュ・フランセ東京)鑑賞10月20日

 人は死なないがサスペンス、犯罪は起きないがサスペンス、という作品があってもいいじゃないか、とは常日頃から思ってはいるが、まさか、この作品がそういう展開になるとは思わなかった。
 『身をかわして』もそうだが、作品全体を見終わると、どこがクライマックスだったのかがわかってくるのだが、そもそもが、そうそう見慣れているパターンのドラマではないので、余計、ドラマの展開そのものがスリリングではあることだし、かつ、日本のドラマとは違って、心理描写を緻密にした状況において、先が読めないスリリングさなのであって、次から次へと予期せぬ事件がおきるわけではない。
 ふと思ったのは、この二作品で考えれば、日本で言えばドラマの破天荒さじゃなくて、創作落語であったり、作りこんだコントであったり、の「日常レベル、もしくは制作費はかけなくていい中での、心地よいドラマの転がし方」が近いのではないかと思う。
 ある意味痛快だったのは、『クスクス』が、思いっきり、食事の映画であるのに、料理の描写については、かなりそっけない、ということだ。そして、主人公になるはずの「クスクス」については、もういうまでもない状況なので、ある意味いやらしい邦画の状況で、もしこの企画をもっていったら、絶対通らないだろう、という大きな皮肉がある。それは、観客の大方が想像するクライマックスであるはずのシーンは訪れないことにある。その部分もあってか、料理に冷たいのかもしれない。調理シーンを執拗に撮った『歩いても歩いても』を逆に思い出すのだが、それはそれで。

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