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2013年10月 5日 (土)

細部に作品への愛が込められる『ムード・インディゴ』

『ムード・インディゴ』於・シネマライズ

 すべての瞬間のすべてのモノたちは、いつも、僕の何かについて祝福してくれている(はずだ)という作品。ボリス・ヴィアンの有名な恋愛ファンタジーをベースに、基本のストーリーは、そこをはみ出ないが、ゴンドリー映画のいつもの「ボクがすべての中心で、すべてがボクが想像するとおりに見える」のかなりハッピー寄りの映像。
 タイピスト工場とも言えるシーンを中心に、これは、映画というより、デザイン動画だな、とは感じて、ボクの主観の映画のはずなのに、感情移入は多分要求していない現代っ子っぽいドライさというか、これがロック精神かな、というところを感じる。自虐的なのだろう。多分に自虐的なために、恥ずかしげもないハッピーな演出を自然に切り抜けて行く。
 自虐的でありながら、反骨心が根っこにあるので、違和感がなく、クールに感じる、このところがリチャード・レスター作品のはしゃぎながらも、焦点はハッキリしている感じと似て感じられるのか。
 映画の利点は、小説にすると、クドくなってしまう描写の反復などを、自然に持続させられることで、物語を考えるときに、細部のアイデアがありすぎる時は、映画にしてしまう方がてっとり速いな、と感じる。
 ラストは、世界がボクを祝福しなくなっていく。この祝福しなくなっていくサマの表現も、この監督ならではに許される方法だろう。ちょっと『ニーチェの馬』も思い出させるのだが。

 パンフレット。やはりゴンドリーへのインタビューが核心となる。コラムは野崎歓氏が原作側から。村上香住子氏は、各シーンの自分なりの説明、といったところか。そして、この種?の作品好例のコメント集。そして、音楽については、ポール・マッカートニーについてがほぼすべてでサントラ全像についての解説ではない。
 ゴンドリー映画は、音楽も毎回当然凝っているのだが、以外にも、日本盤まで出て、詳細を確認できたのは『エターナル・サンシャイン』のみなのが、勿体無いといえば、もったいない。

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