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2013年11月 2日 (土)

アート映画のフォーマットでバイオレンスを語る『父の秘密』

『父の秘密』於・ユーロスペース

 アート・シネマの手法で、かつて多く語られてきたB級バイオレンスのプロットを解釈しなおした、と受け取った。いわゆるバイオレンスの箇所は、引いた固定カメラで、最大限省略できる動きを省略して、表現する。画面に現れているのは、静かで動きのない画面だが、みる観客の脳裏には、過激に荒々しいまでのアクションが再現されているかのよう。
 そして、またしても起承転結とは何か問題だが、この映画も、起承の途中あたりまでしか描かない不気味さのようなものを感じる。
 そして、引いて固定したカメラが多いゆえに、その画面の構図は完璧だ。何度も登場するクルマの後部から、車外の光景までを捉える構図は、かなりこだわっている模様で、そしてソファーの後ろから捉えて、ソファーに横たわっている人物が初め気づけずにいる映し方や、もっともかっこよかったのが、厨房の主人公の男の背に、背を向けた料理人ふたりの軽い会話風景を見る映し方。このあたりの、構図命的なものは、キアロスタミを思ったが、キアロスタミよりも、とにかく、カメラの動きが意識的にほとんどなく、カメラを動かさず、被写体というかバックがひたすら動く時間が多いのが印象的だ。

 パンフレット。監督と主演女優のインタビュー。そして、川口敦子氏と、なんと宮台真司氏のエッセイ。

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