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2013年12月 8日 (日)

ミニマルな表現の中で「食べること」についての描写が日常的に豊かな 『もらとりあむタマ子』

『もらとりあむタマ子』於・新宿武蔵野館

 これこそ、前田敦子についての知識(自分も、ほとんど知らないが)を全く知らなければ、どうなんだろうか、と思いながら。すばらしいのは、完璧なまでのタマ子の表情の欠落だが、例えば、ジャームッシュ映画の住人たちのような中では、コントを演じている雰囲気で理解できるのだが、べつに、映画空間としては、何かをデフォルメしているわけではない中での、この自然なる無表情は、すごい。ドラマチックにはならない映画を作るための緊張が、わかるような気がする。
 ところで、この映画は、最近の邦画に多い、料理のウエイトが多くを占める作品。それも、料理、というより「食べること」。ラスト近くのタマ子のアイスクリームバーの食べっぷりは、伝説になるに違いないが、食卓で気になったのは、タマ子専用の温野菜サラダの入ったタッパーで、ここから食べる比重が、タマ子の父親への壁の厚さのバロメーターになっているな、と思う。大体、ちゃんとした?料理ではない食べ物を食べるシーンが多い映画は珍しい。
 季節それぞれのパートの区切りのみの一瞬の音楽は、『奇跡の海』を思い出した。

 パンフ。自分が今までに手にしたもので最も大きいが、これは、ミニポスターにもしてください、の意か。原稿は、漫画家くらもちふさこ氏(イラスト付)、作家の山内マリコ氏、マンガ家・大橋裕之氏の4ページまんが、プロダクション・ノート、前田敦子インタビュー、そして「タマ子をよりよく観るための映画」というコラムがあるのだが、この原稿に記名がないのが気にかかる。監督が実際に意識したものか、第三者のライターが思うままに書いたものか。

 そうか、はじめに冷めた?ロールキャベツを食べるシーンがあり、男親とのふたりずまいにしては、しゃれた食事だな、とちょっと思ったが、それは間違いではなかったのだな。

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