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2013年12月 1日 (日)

ストイックな作りの中で、映画とての毅然さを感じる『母の身終い』

『母の身終い』於・シネスイッチ銀座

 物凄くシンプルな映画である。シンプルな中の、アクセントはクレジットの黒地からクレジットが出るまでの間合いであるとか、沈黙のシーンの次のカットまでの長さである。ラストカットは、ここで終わるか、と思った、少しだけリズム的に長い「間」があってから終わる。
 研ぎ澄まされているな、と感じたのは、主人公の母・息子、そして隣人の関係が、やはり推察さえできないぐらいに、ドラマを拒絶してある、ということだ。ほとんど、会話らしい会話をしない(実際は、これがリアルだろう)ので、言葉の端々に出る情報で、彼らの過去のドラマがわかったりするが、それさえもない。人生の多くは、自分以外は知られずに終わるものだ。
 謎は、ランドンとセニエのラブアフェアで、このエピソードだけ、完全に分離している。ランドンの出演交渉の条件として、こういうシーンを入れたんじゃないか、とさえ思えてくる。そうだとしても、べつにいいけれど。ランドンがセニエに、ラスト近くで言うセリフが、ほぼ唯一、ランドンが自分を冷静に見ようと決断しているのがわかる箇所と思えるので、これを重要な意味ととるかどうか、だろう。

 ところで、本作、スタッフがシブい。音楽がニック・ケイヴとウォーレン・エリスがクリント・マンセルかルドヴィコ・エイナウデイか、という音を出しているが、クレジットみると2007年作品を使用しているということで、『ジェシー・ジェームスの暗殺』を聴きなおしてみる。
撮影のアントワーヌ・エベルレは、オゾン『まぼろし』、パレスチナ映画『パラダイス・ナウ』、イスラエル映画『ジェリーフィッシュ』、ブルーノ・バレットのブラジリアン・バイオレンスもの『シティ・オブ・マッド』、そして『故郷よ』、といった、あらゆる国籍のいずれも超シリアスな題材の尖った作品にばかり参加している。もう、この人の参加は、どんな絵が取れるかだけじゃない、エベルレだからわかる哲学があるような気がする。画調はジョン・シール的柔らかさと思うが、それをもっとシンプルな条件で撮っているのではないか、と思われる。

 大体、このステファヌ・ブリゼ監督が驚きなので、これまでの作品の題材からしても、もっとベテランの職人かと思いきや、66年生まれで、まだ40代なのだ。

 パンフ。シネスイッチでの上映ということで、テーマ主体になるのはいうまでもなく、秦 早穂子氏、上野千鶴子氏が母の話、母と息子について書く。そして、国によって状況が異なることを解説しておかなくてはいけないので、社団法人・日本尊厳死協会理事長の岩尾聰一郎氏が書いている。インタビューは監督とエレーヌ・ヴァンサン。フィルモグラフィーはキャストのみで、スタッフ紹介は、なし。

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