« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月23日 (日)

ミニマルに描かれた青年の日常が表すもの 『Sweet Sickness』

『Sweet Sickness』於アップリンク

 主人公の青年の、単調な仕事場との往復が幾度となく、省略せずに挿入され、しかし仕事場での他人との関係が一切見えないところが、青年の生きる世界を表している。静かな関係が秘める、緊張感を湛えた空間が、粘液質的に時間を過ごさせる。これも、犯罪に発展する悲劇一歩手前を危ういバランスでそろそろと歩む物語。ある意味、面白いのは、終盤は、一見、ひとりの青年が精神的に自立するまでの完結した物語の形を取っているが、あまりにもラスト近くがそっけないため、この部分にアンチリアルを感じる。実際は、そんな風には進んでいないが、自立を装っているだけではないか、という風にも見えるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『かくも長き不在』の親子版を出発点として 『MISSING』

『MISSING』於アップリンク

『かくも長き不在』の親子版か、と一瞬思う。もしくは、あの「謎の少年」は、子供を亡くした親たちに共通に見える、架空の少年なのか。奇しくも、主人公の女性は息子および、息子のふりをしてくれる少年を探して、同じ行動を反復し、不条理ホラースレスレのラインをたどり続ける。愛するものの不在との葛藤ということで『聞こえない、ふりをしただけ』とちょっと条件を比較してしまうが、こちらは、不在すぐではなく、数年たってからの親たちを描いている。この悲しむだけには終わらない悲劇を濃密に描くが、これが日常として数年間も続いている、ということなのである。ただ、悲しむ、というドラマではない切り口が、リアルな心情の一部を表しているかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

繊細な実験を想起させる斬新な短編 『わたしたちがうたうとき』

『わたしたちがうたうとき』於アップリンク

初めにふたりがうたうシーンで、このシーンだけで15分を語りきるのかと思ったら、そうではなくて、複数のシーンが存在する、通常の物語文法にのっとった。まるで、これから至福の物語が始まるフィルムの第一巻のみをみせられたかのような。ただし、この状況では、ふたりには悲劇も容易に想像できる。「歌は、歌う瞬間のみファンタジーの世界に生きることができる」という概念が、自然に彼女たちを歌わせるか。歌えば歌うほど、その歌声のみを切り取れば幸福のように見えても、本当は、歌わなくてもよい世界が訪れたほうがよいのか。「歌」の心にとっての効果をいろいろ実験する試みに発展させられるかもしれない。繊細な実験を想起させる短編である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月16日 (日)

衝撃の2本『ソルフェリーノの戦い』『湖の見知らぬ男』

『ソルフェリーノの戦い』
ドキュメンタリーとフィクションの融合もいろいろあれど、実際に起きている歴史の現場でロケして、直接その歴史とは接点はないドラマを作る、というのははじめて見た。まあ、よくある構成では実験の意味がないので、成功か失敗かはともかく、その効果を確かめたい、というのはあるのだろう。ドキュメント感をより意識させるためか、それぞれの役名は、俳優の名前そのままだ。もちろん、見所は、現場の群集中のドラマ。マケーニュの、群衆の中での存在感は、なかなかすごく、『女っ気なし』では憎めない魅力ぐらいに思っていたが、実際は、すごいオーラを持った人なのだろう、と。

『湖の見知らぬ男』
シチュエーション・スリラーとは少し違うが、限られた密室のような世界で、限られた登場人物たちの中で、まるで、話してもよい内容についても制限が課されたかのような会話(この世界の外、自身の日常生活は話題にしないことなど)。そして、映画自体も、固定した構図の反復や、湖と森というシンプルながら暗喩的な設定。あきらかに挑発的だが、それは、男女のドラマとしては、過去に発表されたこともあったのではないか、そうではないがために挑発的に見えるだけではないか、と疑ってしまう描写の数々、そのシンプルな中に、悪意ある「想像性」を感じさせ、そのBGMのように、湖のさざ波の音と、森の草木のそよぐ音が常にそこにあり、冷ややかな「沈黙」は決してない。音としては、生ぬるい状態が持続している。まるで、悪い冗談のゲームのコマとして入り込んだかのよう。想起させるのは、ヴェルナー・シュレイター、コーエン兄弟、フランソワ・オゾン、そして男版ロメール?そうではないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月15日 (土)

印象的なアコースティックなメロディとニック・ウラタについて 『メイジーの瞳』

『メイジーの瞳』於・TOHOシネマズシャンテ3

  映画鑑賞後のパンフ内での監督インタビューで知ったのだが、あくまで子供の視点に立つ映画ということで、楽観的な印象が残るイメージつくりがなされているのだ。ちょっとした背景での、掲示板での張り紙の配列さえもややカラフルになされていたりする意味はそこにあるのか。
 そして、かなりの度合いでスコアが流れ、それがゆるやかに美しくやさしいメロディを保つのも、おそらく「メイジーが思わずくちづさんでいるかのような音としてのスコア」なのだろう。そこに、かすかな都会の騒音が心地よくミックスされ、両親たちの聞きたくないいがみ合いの声は、遠くから聴こえるようになっている。近くで大きく聴こえるのは、ほとんどがメイジーが聴きたい音なのだ。
 ニック・ウラタによる音数を絞ってアコースティックで、やさしいが頼りなさげでさびしげで優しく美しいスコア、そして多用されるヴォカリーズのサウンド。
 ニック・ウラタは、音楽グループ"デヴォチカ"の中心人物。そう、あの『リトル・ミス・サンシャイン』でユーモラスなトラッド的ナンバーを何曲か聞かせてくれた、あのデヴォチカだ。リトル・ミス・サンシャインは、サントラのユニークさも注目され、今やスタンダード的名盤化している。今までに最新作「100 Lovers」まで6枚のアルバムを出しているデヴォチカ、そして2008年『Lie to Me』から映画音楽にも進出しているウラタは、盤化されている作品だと『フィリップ、きみを愛してる』『ルビー・スパークス』がある。『メイジーの瞳』もサントラ盤は発売されている。今後は3月に日本ではDVDが出る『ファミリー・アゲイン/離婚でハッピー!?なボクの家族』、伝説のタクシー運転手アルフレッド・ホブスのドキュメンタリー『Alfred and Jakobine』を担当している。 

 パンフレットは、内田也哉子氏の鑑賞後観、ムーア、スカルスガルド、エイプリル、ヴァンダーハム、監督のインタビュー、森直人、渡辺祥子の作品論。渡辺氏は、ヘンリー・ジェームズの原作についても触れている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月11日 (火)

これを機にもっと米インディーズ・シリアス・ドラマを!と思う 『ザ・イースト』

『ザ・イースト』於・シネマカリテ

 善悪の意味に悩む展開に集約される、という形は、昔から「社会派」ならずとも、ある話なのだが、娯楽アクション的テイストに寄らないのは、今までのヒロインよりもさらに理論的と思われるブリット・マーリングの言動があるからだろう。登場人物たちの紹介は、この設定だと、説明的なセリフがあっても違和感はない。また、伏線回収系とすれば、一見、この映画のほころびではないか、と思える部分が、実は生きてくる、というのもある。
 前半の省略が、とにかく大胆。「潜入捜査」もののセオリーはお分かりでしょ、とばかり、ほぼいきなり、後半戦に突入する。そして、多くの陰謀者とは違い、現実にありうる範囲内での「展開」があるが、これが、大きなストーリーの構成そのものが鍵となっているのが、機知に富む脚本であるところだ。
 ドクのピアノを弾くシーンはやや謎。全体的に、マイケル・ナイマン的な空間を思わせるサウンドと混ざり合うが、そこが引き立つことはない。

 パンフレットはFOXサーチライトマガジンVol.2.
 ブリット・マーリングのロング・インタビュー。そして町山智浩氏の、本作に描かれる世界を中心とした、アメリカの、日本ではあまり知られざる部分と思われる裏知識の解説、それを踏まえて、宇野維正氏の作品論を読む流れ。そして、プロダクション・ノートとスタッフ・インタビュー。残るキャスト、スタッフの解説も詳しい。
 続いて、「スコット・フリー」についての宇野氏の解説、女優兼クリエイターの状況について杉野希妃氏。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜか恋愛映画だとは全然感じない(悪い意味ではない)。そして、坂と階段についても。『ニシノユキヒコの恋と冒険』

『ニシノユキヒコの恋と冒険』於・新宿バルト9

 途中で、この物語の語り口のスタイルがはっきり提示され、そこからは、かなり楽に見ることができる。すなわち、阿川佐和子にとっての、理想の、遊び相手としての男性である。所詮、女性たちのファンタジーの中の詳細であるので、その「生活感の不在具合」をたっぷり楽しむこととする。
 そういいながら、ニシノユキヒコよりも、対する女性たちの一喜一憂をだらだらと切り取らない間合いを楽しむ。ストーリーを語ることを重視するドラマでは、切り取られまくる瞬間が残るのが、井口映画ならではの時間の使い方だろう。女優のダラダラ空間を楽しめた(特に成海璃子)。

 ところで、パンフ中インタビューでは、今回はない、と監督はおっしゃる「ふたまたの道で坂」は、みなみを式場に誘う途中で、それらしきロケーションは登場する。他にも、2シーンほどあったかと。ふたまたの道で坂、というより、鉄道で言えばスイッチバックを、切り替え場所から望んだような画面。画面の左に上り坂、右に下り坂、という状態(『人のセックスを笑うな』の初めのシーンがまさにこれにどハマリのロケーション)。坂でなくても、左に上り、右に下りの階段の踊り場を収めるカットも数箇所ある。決断の暗喩かな、と。決断の暗喩といえば、玄関のシーンも多い。
 同じような井口ダラダラリズムを、『人のセックスを笑うな』の一見生活感の濃厚さ、から、ファンタジーへの応用は新しい。というか、これがファンタジーとなるのが現代か、とも。
 パンフレットは、インタビュー中心に、細やか。多分、普段見慣れているテンポとは違う作品であることを納得させるためか、の発言が多い。キャスト、監督のインタビュー。プロダクション・ノート。音楽は、七尾旅人の主題歌について多くが割かれている。ラストはスタッフ中女性のみ5人のトークを収録。男性の声は、パンフ中、竹野内のみ。コラムは作家・藤野千夜のみ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年2月 1日 (土)

アクション映画ではないがアクションの映画『アフリカの光』

『アフリカの光』於・神保町シアター

 とにかく演技の映画で、アクションの映画。「アクション映画」ではないが、役者が、表情やセリフよりも、とにかく動きで演技する。それを見せたいがために、映像は余計な演出をしない、とばかり、アフリカのイメージの挿入以外は、彼らを寄ったり引いたりしながら、じっくりほぼすべて長回しで撮っている。
 セリフは少なく、ドラマの起伏も、いわゆる起承転結的にはなく、といっても、ここが始まり、ここが終わり、というはっきりしたものであるので、気取った作りの作品なわけでは全くない。この焦燥感に、違和感覚えずについていけるのは、動きが絶えず、あるからだ。
 初めのほうのシーン、町について二回目にバーに立ち寄った時の、主人公が真ん中でほぼ動かずに呑んでいて、その四方、上下左右では他の客がみんな、結構派手な動きをしているカットがある。これが、自分は妙に面白くなってしまい、そのあたりから、この映画のリズムに乗れた感じ。
 何度か登場する、この製作スタッフたちならではの、男女のシーンも、いわば動きの演技で、この、何もない町で、ドラマを進め、彼らの心理を表現する重要な役割を果たす。
 そして、この映画をわかりやすくしている重要な要素が音楽。演歌ミーツ・イージーリスニングみたいな、ちょっと垢抜けないメロディをポップ・オーケストラの感覚で聴かせるあたりは、当時流行の、ムード歌謡をサックス演奏で録音、のレコード群を思い出し、昭和な感覚にぴったり合う。一曲、よりヨーロピアンなムードの曲もあるが、井上氏が、映画音楽を仕事にするにあたって、バート・バカラックあたりは勉強した、とインタビューで答えていたのを思い出し、納得する。全体の、この歌謡曲的明解さのサントラが、商業映画として優しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「天才監督が映画つくりに飽きたあとに手がけた作品」というパズルとして考える『ROOM237』

『ROOM237』
於・シネマカリテ

まるで『シャイニング』が、架空の映画のようである。熱狂的な映画ファンが、監督の意図を超えて、過激にメッセージを読み取る、という傾向は、映画に限らず、さまざまな「作品」の「作品論」に昇華しているものまで含めて、以前から多いと思う。一見、ひとつの映画についての考察の映画、というあまりにもの異種な作品に思えるが、いわば、ある「映画論」の映画化、であろう。
確信犯かマジなのかわかりづらいレベルで、あまりにもこじつけ的な仮説も含めて、さまざまに考察されるが、権利の問題等もあるのかもしれないが、考察されるシーンは限られているかと思われる。そして、これは、この映画自身への突っ込みどころと思えるのが、ひとりの論を深めているからではないから、だろうが、「隠された記号の読み取り」のみを膨大に行いつつも、その総合が、あるふたつの歴史についての暗喩である、というところまでで止まっている。もちろん、そこまででも十分に面白いし、その次の具体的な「キューブリックの解釈」に言及することは、なかなかジョークではできないだろう、というのはある。
 この「映画評論映画」という発想は、これを発端として、もっと展開されても面白いと思う。例えば、邦画だと森田芳光『家族ゲーム』、北野武『HANA-BI』あたりはきっと面白いだろうな、と。
 また『シャイニング』のような、いかにもな作品ではなく、『13日の金曜日』とかのように、まさかメッセージ映画だったとは、みたいなところに切り込んだら面白いだろうな。『スクリーム』が実はヒューマニズムにあふれた映画であることを強引に読み解いていくとか。ギャグとしての映画評論、というのも、ちゃんと形にするのは新機軸と思えるし。

 パンフ。あらすじとして、ここで述べられる考察をまとめ、監督による長文。プロフィールは、登場する識者とスタッフについて。評論は、浜野保樹教授、そして膨大に引用されるフィルムの出典のリスト。これは助かる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »