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2014年2月 1日 (土)

「天才監督が映画つくりに飽きたあとに手がけた作品」というパズルとして考える『ROOM237』

『ROOM237』
於・シネマカリテ

まるで『シャイニング』が、架空の映画のようである。熱狂的な映画ファンが、監督の意図を超えて、過激にメッセージを読み取る、という傾向は、映画に限らず、さまざまな「作品」の「作品論」に昇華しているものまで含めて、以前から多いと思う。一見、ひとつの映画についての考察の映画、というあまりにもの異種な作品に思えるが、いわば、ある「映画論」の映画化、であろう。
確信犯かマジなのかわかりづらいレベルで、あまりにもこじつけ的な仮説も含めて、さまざまに考察されるが、権利の問題等もあるのかもしれないが、考察されるシーンは限られているかと思われる。そして、これは、この映画自身への突っ込みどころと思えるのが、ひとりの論を深めているからではないから、だろうが、「隠された記号の読み取り」のみを膨大に行いつつも、その総合が、あるふたつの歴史についての暗喩である、というところまでで止まっている。もちろん、そこまででも十分に面白いし、その次の具体的な「キューブリックの解釈」に言及することは、なかなかジョークではできないだろう、というのはある。
 この「映画評論映画」という発想は、これを発端として、もっと展開されても面白いと思う。例えば、邦画だと森田芳光『家族ゲーム』、北野武『HANA-BI』あたりはきっと面白いだろうな、と。
 また『シャイニング』のような、いかにもな作品ではなく、『13日の金曜日』とかのように、まさかメッセージ映画だったとは、みたいなところに切り込んだら面白いだろうな。『スクリーム』が実はヒューマニズムにあふれた映画であることを強引に読み解いていくとか。ギャグとしての映画評論、というのも、ちゃんと形にするのは新機軸と思えるし。

 パンフ。あらすじとして、ここで述べられる考察をまとめ、監督による長文。プロフィールは、登場する識者とスタッフについて。評論は、浜野保樹教授、そして膨大に引用されるフィルムの出典のリスト。これは助かる。

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