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2014年3月 1日 (土)

多くの人々と語り合いつつも孤独な『グロリアの青春』

『グロリアの青春』於ヒューマントラストシネマ有楽町

 同じ名前の流行歌が存在する人は、一生、自分のテーマソングのように、まるで不治の病のようにつきまとい、それと一生つきあう覚悟で生きなくてはいけない。しばらくは、悠々自適に離婚後の人生を楽しんでいる50代の女性の時間を淡々と映し、それが見ている側は、若干批判的なニュートラルの状態で見つめている。この女性の状況、そして心情は、うすうす気づき始めるが、それを一本の映画として昇華させるには、何を発火点とするのか、をスリリングに見つめる。
 事件らしい事件は起こらないながらも、女性の細やかな心情が、全然細やかではない状況描写によって説明されていく。彼女にずっと寄り添っているのは、観客たちだけなので、さまざまな人間たちと、表面的には、崩壊していない普通人の、目立たない一人の女性にしか写らないだろう。だが、自身の焦燥、作り手によっては、感情を大きく爆発させて、すべてを吐露するシーンを設けても不思議のないこの状況下。だが、この映画は、大きな爆発ではなく、彼女が行う、一瞬一瞬のささいな非日常への冒険による、ある意味ガス抜き的、自分をだましだまし生きるすごし方に自己を落ち着かせていく。
 すばらしいのは、彼女のドラマは、彼女ひとりで完結しなければいけない部分が多々あるため、沈黙で行動のみのシーンが、ひたすらに意味を持つことだ。逆に、言葉というものの空虚さも感じさせていく。邦題に「の青春」を加えたトランスフォーマーは、なかなかの皮肉屋だ。

 音楽は、現代のサンチャゴで流れる感じだろう、現地の今なポップスがソースとして流れ続けている。ある一定の喧騒としてのポップスは、空虚さの演出に効果的だ。

 パンフは監督と主演のインタビュー。コラムは安藤哲行氏がチリ現代史的側面と照らし合わせて読み解き、松山梢氏が恋愛論的立場で書く。スタッフ、キャスト解説は、レリオ監督、主演のガルシア、エルナンデスの三名分のみ。

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