2013年9月14日 (土)

映画の構成要素が楽器となってセッションする『オン・ザ・ロード』

『オン・ザ・ロード』於TOHOシネマズ・シャンテ(鑑賞9月7日)

  物語の語り手が魅了された男を中心とした物語であるが、そこそこ、いい男であるが、なぜ、彼に魅了されているのかを観客に説得するということには興味がなくて、どちらかというと、そいうことも含めて冷ややかに見つめている映画なのだろうか。その、中心なる男ディーンの憎めない怠惰ぶりは、彼が新たなる怠惰な行為に踏み出すところと、彼を主人公が許している場面まで一気に省略することで、ちょっとコメディ的味わいともいえるが、本来、この状況をじっくり描くと、青山真治バリの張り詰めた空間が支配する、体力の要る人間ドラマになろうかと思われ(その感じでソクーロフかダルデンヌ兄弟あたりに再映画化してみてほしかったりもするかも)、それは、今回の映画化の意図とは異なるのだろう。
リズムを作り出すための細かい省略は多用される。そこに、これは他の映画でももっとあってもよいと思うのだが、メロディを歌ったときの権利処理が難しいからか、なかなか見ることのない、ついついメロディで歌ってしまう部部を多く取り入れたセリフである。ワード・ジャズという単語を思い出した。(RHINOがJACK KEROUAC音源をCD化した際のレーベル名はWORD BEAT)
  まさに、ジャズのノリの文章でつづられた作品なのであり、その「ジャズ」感をそのまま映画として具体化しようとしたのだろう。
  サンタオラーヤのメロディよりビート重視のサウンドも、その感覚に沿った結果。この感じだと、メロディを押し出すと、そっちに流されかねないので。そうすると、編集、撮影、役者の動き、セリフ回し、SE、そして音楽、それらはひとつのそれぞれの楽器となって、セッションしている、まさにその感覚の映画である。

  パンフレット。これは、予備知識大量に必要な映画でもある。原稿は、原作の翻訳者の青山南氏、写真家の操上和美氏、そして評論家の大場正明氏。そして何より興味深いサレスのインタビューだが、なんとサンタオラーヤは、映像をみずに自らのイメージだけで音を作ったのか。それにしては、合いすぎだ。さすがですねぇ。

  ところで、サレスのフィルモグラフィーで『アルゼンチン・タンゴ』のプロデュースは、意味あると思うのだが、パンフには書かれていない。

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