2009年8月27日 (木)

スパイロ・ジャイラ『フリータイム』

実家に帰った時にいつもなんとなく聴いてしまうLPがあって、だが、なぜか、こっちに持ってくることがそういえばなかったものにスパイロ・ジャイラの『FREETIME』がある。なぜ2009年の夏に、というのがあるが、先日のミッチェル・フォアマンじゃないけれど、原点回帰なんでしょうか。本当は、探したのは、同じスパイロ・ジャイラの『DREAMS BEYOND CONTROL』で、このアルバムの年代の微妙さ加減で廃盤だろう、と思っていたらやはり廃盤で、でもアマゾンに中古があったので、注文。とある理由で、自分にとって、メモリアルなCDなのですが、こんなもの、絶対もっているはずとタカをくくっていたら、どうも見つからない。そうすると、無性に聴きたくなってくる。ということなのでした。スパイロ・ジャイラって、もう絵に描いたような「フュージョン」だと思う。自分でも、強烈に、うわあっ、という理由は見当たらない(例えば、ボブ・ジェームスやアール・クルーや松岡直也には見当たる)のだが、なんか聴いてしまうのでした。で、この人たちといえば、『モーニング・ダンス』とかなんだと思いますが、初期の頃のいかにも、ラテン・ジャングルなジャケのものから一転、この『FREETIME』ジャケはおしゃれに思えた。当時。81年作品というから、16~17歳。高校生か。そういえば、クラスメイトにも、フュージョン・ファンはいっぱいいて、聴きあっていた。そうか、この当時、高校生はフュージョンを聴いていたのだ。で、その『FREETIME』のCDをようやっと手に入れて、聴いている。なんてことない音なんだろうけれど、愛聴していたことがよくわかるサウンドだ、と自分なりに納得している。少し前に同理由で、カシオペアの『フォトグラフス』もアマゾンで買ったが、これも廃盤で結構いい値段がしてしまった。アール・クルーも、自分が聴きたかった『クレイジー・フォー・ユー』や『ロー・ライド』は廃盤で、やはりいい値段だった。自分の青春時代の音は、今、最も中途半端な時期なのだな、と感じずに、いられなかっ、た。(終わり方が津嘉山正種風に)

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2009年8月15日 (土)

MITCHEL FORMAN "NOW AND THEN"

引越し関係で、いろんな発見があって、・・・というか、ここ数年、自分はどうやって生きていたんだろう、と思うぐらい、おそらく、何年も、このままになっていたんだろう的なものが無数にある。そのうちのひとつ。完全に忘れていたのだが、80年代後半から、90年代前半にかけて、手に入れていたはずの諸々のCDが手元になくて、そういえば、どこにいったんだろう、とよぎることはあっても、真剣に考えることはなかった。そして、引越しの時に気づいた、黒いCDファイルバッグ10数個。多分、1つに100ぐらい入るもの。はたと気づいて、それをあけて見た。真剣に探してはいなかったが、いつか、買ったはず、のCDがざくざくと見つかった。こんなもの買っていたのか、という(自分で買っているのに)ラッキーと思った盤も数枚合った。そして、記憶のかなたにあった、想い出のCDも。ということで、MITCHEL FORMANの『NOW AND THEN』である。世間の評価は知らないが、自分は、このアルバムが理想の、自分の聴きたいピアノ・ジャズで、これに近いものを、その後、探すようになった。品のよさを保つ中でのアバンギャルドさ、というか、ムード音楽ではないが、うっとりする。昨日はそういえば、DAVE STEWART & BARBARA GASKIN『UP FROM THE DARK』を発見。これは、まさに聴きなおしたかったCDだったので、「I'm In A Different World」が流れて、ちょっと鳥肌が立った。これは、聴いていたのは、大学時代のはずである。何を思い出すわけでもないが、もやもやっとした走馬灯が頭の中にある感じがした。

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2009年8月11日 (火)

玉ねぎのみりんじょうゆ焼き

『ラジオ深夜便』にハマって久しい。『ラジオ深夜便』の想い出は、やはり10数年前の、今の職業の前の職業の頃、ほぼ毎日、深夜残業後、タクシーで帰宅する際に、タクシーで必ず流れていた(多分、今もそう。最近はタクシーは乗りませんが)のが、この番組。それも、いくつか印象に残っている曲(というかジングル)があり、それを聴きたいという気持ちがずっとあったのでした。今は、この番組を聴きながら部屋の片付け(まだ終わらない)をするというのが日課のひとつですが、ジャストの時間(1時、2時、3時)のニュースあとのジングル、これが、自分が耳にしたい曲でありました。これらの曲を聴くとき、なんか癒されます。この番組の想い出は、前述どおり、全くもって楽しいものではないはずなのに。同じ例は、その前職時、とある地方ホテルから出張先に通う毎日を過ごしていたときに、深夜の夕食をホテルの隣にある居酒屋でとり、そこで、いつも頼んでいた(正式メニュー名忘れましたが)「たまねぎのみりんしょうゆ焼き」。要するに、そういう料理で、これは、今でも、よく自分でも模倣して、なんとか思い出の味に近づけようとしているが、これも、いい想い出じゃないのに、離れられないものがあるのである。『ラジオ深夜便』に戻るが、この番組の多くのプログラムは、50~70年前に青春時代をすごした人が楽しめる構成のものが多い。80年代ものもたまにあるが、それは「最近の音楽」と解釈される。この番組の中では、それが自然である。さて、これらを通して聴いていると、確かに、80年代よりも、20年代~50年代あたりの音源がオンエアされている時のほうが、刺激が強いし、堪能させてもらうことが多い。決して、自分にとっては、懐かしくはない(例えば、裕次郎にしろ東海林太郎にしろ、のナンバーだと、リアルタイムに聴いているわけではないが、昔から聴いている曲ではあるので、懐かしくはないが、なじみのある曲ではある。そんななじみ、でさえない昔のナンバー)曲に、優しさとすごさを感じさせる。それは、昔はよかった、とか、そういうのではない、自分の知らない時代の空気に触れるときの感触でしょうか。

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2006年8月 9日 (水)

バート・バカラック

ついに久しぶりにスリランカ・ビール「LION」を入手し、ナンチャッテな"スリランカ・カレーってこんな感じだったかなin愛知万博"を普通のカレー+木綿豆腐+ココナッツミルク+ナンプラー+サフランライスという感じで作り、食して、超天国。・・・・・というような話題は、最近ずっと同じなので、先日リリースされていたバート・バカラックの紙ジャケCD化シリーズを聴く。「メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ」。バカラック・サウンドなんかも、自分にとっては、「いろんな音楽の旅をして帰ってきてくつろぐ音楽」のひとつ。いわば「あー、やっぱり、ウチが一番ええなぁ」と、旅行から帰ってきて、いうひとことの音楽版である。とはいえ、昔の、家族旅行の際に聞いた言葉で、今、自分が何度となく行く"旅"は、ものすごい軽装で行くし、みやげなどもほとんど買わないし、何より、マイペースなため、クタクタになって帰る、ということはまずない。なので、帰ってきても、すぐ、別のところへ行く計画を考え始めるのですが。さて、バカラックみたいな「音版"自宅"」は、いくつか、ある。もう、愛聴という度合いを越えているものである。最近は、実際に聴いた回数は5,6回なのに、その後、頭の中でフルサイズでループするので(なので、i-podは必要ない)、めちゃめちゃ聴いたような錯覚を覚える。そうなんだよな、初めて聴く音楽が退屈だったらいやだから、そんな音楽はi-podでは聴かないし、好きな音楽は反芻(心/頭の中で)すればいいので、i-podはいらないのだな。そして、耳をふさぐと、いろんな"自然音""生活音"が聴こえなくなってしまうので、それが好きな自分には、我慢できないんですよね。

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2006年5月 3日 (水)

8曲目。なんてことはない曲なんだろうけれど。

今日も、ものすごく、何もしなかったので、何か、今まで書いたことがなかったはずのCDでもかけながら書こう、と思い、BLUE ISISの「KALDER PA TIDEN」を聴きながら。89年の、おそらくスウェーデンのアーティストのアルバム。覚えていないが、おそらく、今はなき伝説のWAVE六本木のワールド・コーナーで買ったものだと思う。ポピュラー音楽を狭い視点でしか聴いていない、ましてや、英米語圏の映画があまり好きでなかった自分にとって、この、ちょっとナルちゃん的に気取ったサウンドで、ドライなのか、感傷的なのか、どちらともとれる乾いた感じのポップスは、北欧語独特の硬質な感触とマッチして、独特と思った。80年代後半といえば、自分も大学生活を終えかけ、社会人なのに、その気があまり起きない当時に聴いていたものなので、もっとも「聴いたことのない感じの音楽は、何でもウエルカム」な貪欲さがあった。多分、時代もそうで、「聴いたこともない音楽を聴くこと」は、普通だった。ああ、スクリッティ・ポリッティやセント・エティエンヌをエエなぁと思って聴いていた頃がなつかしい(今も、いいと思う)。紹介する側が、どういう風に紹介するかで変わるので、本人たちには関係ないのだろうかもしれないが、あの頃の「時代への、柔らかな反抗」は、”古臭いけれど、新しい”風な音を作る今のアーティストたちの洗練のされ方とは違う。うーん、自分が、そんな辺を積極的に聴かなくなっただけかもしれないので、偉そうなことは全くいえないです。そういうところを探して聴く体力がなくなっただけでしょうね。しかし、あの当時も今も、誰も知らなさそうなアーティストに限って、愛着いっぱいに聴きますな。まるで、アイドル青田買いですね。

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2006年4月 8日 (土)

ガンパレード

アニメ音楽の話なのですが、このアニメは未見なので、音楽の話だけ。前作『ガンパレード・マーチ』は、音楽が川井憲次御大で、いかにも、なサウンドでした。そして、続編というか、その姉妹編ともいうべき、『ガンパレード・オーケストラ』。今回は、凝っている! まるで、ビクターのアニメ音楽の懲りように、ランティスが負けてられるか、という感じです。アニメを見ていないので、なんとも、どういう使い分けをしていたのかがわからないのだが、オーケストラ・パートを七瀬光(『ノエイン』も絶賛されているし、アニメ・コンポーザーとして絶好調になってきてますね)、そしてアコースティック・パートが古川昌義が担当、それぞれを別のCDに分けてのリリース。これがニクイ!七瀬ファンは当然、結構な数存在するし、かたや、古川氏、坂本サトルほかのサポートなどを含むセッション・ギタリスト的な仕事も多いながら、ご本人のアルバムもかなり出されているアーティスト。こちらも、ファンは多い。つまり、どちらも「スコア」なんだけども、分担作業にしたのでしょう。(オーケストラ・パートを菅野よう子、アコースティック・パートを今堀恒雄で、ってな感じでしょうか、ビクターで、とかならば。イメージ的には)で、この古川さんのアコースティック編を聴いているのですが、・・・・いいんですねぇ、静かだけれども、ブルージーで。男のイージーリスニングって感じで。川井大先生の『立喰師列伝』も書こうと思っていたのですが、追って。って、もうロードショーはじまるんですね。

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2006年4月 4日 (火)

ゴベール

ゴベール。ゴダールじゃなくて、ゴベール。フランシス・レイのアレンジャー、として有名なクリスチャン・ゴベールのアルバムCD化というのを聴きました。「LAST EXIT」。ファンク・フュージョンなんだけれども、かなりエッチに聴こえる。レイでゴベールといえば、僕が思いつくのは『続・エマニエル夫人』が最も強烈で(ほかに代表作はいっぱいあるのだけれども)、そこへ「フランスのアレンジャー出身の凄腕コンポーザー」としてミシェル・コロンビエのイメージが浮かんで、この人はこの人で、ゲンズブールのアレンジャーしていた人だから、これまたエロいイメージがあって、・・・ただ単に自分が「80年代前後のエロいフランス映画、・・・の音楽」が好きというだけなのかもしれませんが、そういえば、始め、『ビリティス』もゴベール・アレンジと思っていたら、あれはジャン・ミュジーなんですよね。・・・なんて、まあ、それで「LAST EXIT」聴き、完璧なノリのサウンドだな、と思いつつも、メロディはあまりにまろやかで、リズム/ビートを聴かせるサウンド。ゴベールのアレンジャー仕事多いゆえんたるものを少し理解。あの完璧なサウンド加工で、必殺のメロディを仕上げたら、それは名曲になるでしょう。そういう、「さらに倍」みたいな役割のところで力を発揮していたのだ。レイのもろもろかぁ、聴き直して見たいといえば、みたい・・・・ところで、久々にちょっとローカル線旅してきます。

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2006年4月 2日 (日)

半分の月がのぼる空

今日も、時間もネタもなく、昨日購入の『半分の月がのぼる空』のサントラについて。WOWOWに入っていないため、どんなアニメなのかコミックなのかも全くわからずも、理由は「音楽 光宗信吉」だったからでして、『ローゼンメイデン・トロイメント』以来の盤での邂逅(『スピードグラファー』が出ませんでしたからなぁ)か。いろいろ調べて、どういうストーリーなのかは把握。今回は、魔法も魂を持った人形も出てこない、現実的なラブコメもののようである。こんな「ド現実」ものは、珍しいんじゃないでしょうか、光宗氏。小編成のバンドタイプなサウンドをメインにした、でも、光宗ノスタルジー・メロディ、期待通り炸裂で、特に哀しい時のナンバーがよろしいですね。一曲、モロ『シュガー』の裏メロな曲ありますが、あれはファンへのサインか。そろそろ、「アニメ界のチプリアーニ」とでも命名したいな、と思う今日このごろ、というのも、どんなテーマでも、そのメイン・ストーリーからは外れた「日常の何気ないシーン」でのBGMが、この人は炸裂している。「異空間/ドラマ性を帯びた空間での、事件の起こっていない瞬間」という、この設定の雰囲気作りは、すごいのひとこと。だからなのか、このサントラでも、いきなり1曲目2曲目が「日常その1」「日常その2」である。「日常その1」がアルバムの1曲目って、すごいですよねぇ。・・・いやあ、そろそろマジで実写系映画、担当してほしいです。日常系ラブストーリーみたいな映画で。

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2006年3月28日 (火)

ルーツ系

昨日に引き続き、自分のルーツ系の音を聴きたいな、と思って、ちょっと押入れの中をゴソゴソ。というのも、今日(昨日)は、もう、本当にくたくたで、今や、何も考える気が起きない。そんな時には、自分のルーツが優しく包んでくれる。選んだのは、マーク・アイシャム88年の「カスタリア」。強烈にいいアルバムです。この頃は、アイシャムはまだ映画音楽をバリバリベリべりやっている頃ではなく、むしろ、ニューエイジ・アーティスト。この頃なんだろうか、ニューエイジというジャンルが話題になっていたのは。ちょうど、大学生活の終盤から、自分としては、社会人生活としての初期のゴタゴタの頃で、気分としては、「とにかく、聴いたことのない音楽を聴きたい」と思い、この頃に知った音がかなり多く、それがのちの趣味を形成している部分も多い。冷ややかな、ジャズともなんともつかないバックのサウンドを従え、エコーばりばりのトランペットを聴かせるアイシャム。ソフトなマイルスかもしれないし、トランペット版パット・メセニーという感じも、今、思えばするサウンドです。この頃は、自分も音の冒険をしていたが、今は、音階がない空間の方が落ち着いたりする。というか「落ち着くかどうか」が娯楽の意味の要になっている。80年代後半のCDたち。アイシャムは大成しているが、「彼ら自身は、その後どうなったのだろう」というアーティストたちのCDが、同じファイルからドサッと出てきていました。

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2006年3月27日 (月)

LOVING YOU WAS LIKE A PARTY

ここでは、珍しいジャンル?の音楽の話を。というのも、別の用事で、部屋中のCDをひっくり返していたら、これを発見。久しぶりに聴く。いわずもがな、のマリーナ・ショウ大名盤「WHO IS THIS BITCH,ANYWAY?」です。この盤に出会ったのは、12年前のCD化された時のことで、オリジナル当時もFMなどで聴いていた可能性はあるが、それとして聴いたのは、そのときが初めてだった。そして、死ぬほど聴きました。そればっかり聴くぐらい聴きました、その頃。なんか、これ、失恋した時に聴くアルバム、みたいなハッピーさと切なさのバランスが絶妙な曲ばかりなのですが(偶数曲が特に)、そして、これを聴いていた頃は、べつに失恋なんてしてませんでしたが、なんかそういうほろ苦さがある。この音が自分にバシッと来たのは、ソウルは苦手な自分ながら、学生時代をフュージョンで過ごしたからであると思う。バックのメンツは、完璧にフュージョン畑のオールスターズであります。凄腕ミュージシャンたちのほとんどスタジオライブ一発ドリのような(実際の状況は調べていませんけれど)ラフさがかっこよく、この辺がちょうど波長が合ったのだろう。パティ・オースティンはその頃、よく聴いていたし、ロバータ・フラックあたりも、聴いたら、好きなアルバムだらけなのかもしれない。が、そういえば、聴いていない。この辺の70年代の女性スウィート・ソウル・ヴォーカル、いいかもしれないな、自分にとっては、新鮮なジャンルかも、と、最近、自分が今まで聴いてきたジャンルの、リスナーとしての限界を感じる耳に・・・と思うのでした。「ARIA THE NATURAL」の予告編、しっかり、待って見てたんですけどね。

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