2007年9月 6日 (木)

8日前

日々の忙しさにかまけていると、いかんいかん、書きたかったことを書かずに、もう一週間以上が経っている。ということで、8/28のことについて。前日に、くずはモール街跡を見た自分は、翌日、自分の生家(多分、初めの引越し後、尋ねたことはなかったと思う。少なくとも、しばらく経ってからは)は今、どうなっているのか、が気になり、探索することにした。その家から離れたのは、今から37年前である。大阪は守口市の、橋波東之町。今は、京阪電車の西三荘駅のすごく近くに当たるところ。当時は、そこより京都側に「門真」という駅があり、そこが最寄り駅だった。もちろん、その頃は高架ではなく地上駅で、複々線ではなく複線で、ホーム幅も、すごく狭かった。その名残、と思い、西三荘を降りて、このあたりからだろうと思われるあたりまで京都側に歩き、そこで、かすかに記憶のあるうねりのある道と、記憶にある薬局名と、喫茶店の名を発見。すなわち、そのニ店舗は、37年間、まだあったのだ。そこから、記憶の糸をたどるように、昔々の家路をたどっていく。「西三荘」の駅名の由来にもなった、ちょうどその真下を通っている水路(小さな頃は、大きなドブぐらいに思っていた。ねずみとりでとったねずみをその川(人口的なものだったので、川ではないんだけれど)に捨てに行っていた記憶もよみがえる。)ぞいにたどって、そこからさらに記憶をたどって。あった。それらしき家並があったのだった。もちろん、今住んでいる人に挨拶をする、とかそういう展開ではなく、しばし、感動にひたってから、その場をあとにしただけなのですが。

 そして、その日の第二部ともいえるのが、万博閉会後、入ったことがなかった「エキスポランド」散策だ。ほんと、今は便利になっていて、西三荘からひと駅の「門真市(昔は「新門真」だった)」から大阪モノレールで「万博記念公園」まですぐだ。この、万博ど真ん中まで労せずして行ける所は、開催時を思わせて興奮。さて、閉会後、初のエキスポランド。大の大人の男がひとりで遊園地に入るのだが、こういう人種多いのか、もぎりの方は、普通の対応。かんかんでりでもなかったと思うが、雨の気配はなく、気温も熱かったので、なかなかの遊園地気分。嘗め回すように、敷地を探索。まあ、夏休み中とはいえ、平日の昼間で、プールだけは、にぎわっていたようですが、そこ以外は、予想通りの人の具合。かなりの数のアトラクションがあることに感心し、通路がとにかく広いことにびっくり。遊園地というものは、こういうものなのか。ディズニーランドにもとしまえんにも行ったことがないのでわからない。食堂スタイルの店も、半分ぐらいは閉めており、売店風情なところだけ、数箇所開いている。そこで、焼そばとビールを頼むと、メニューにはあるのだが、生ビールはなくて、缶しかない、とのこと。半ば納得して、缶ビールと紙コップをもらって、軽食。在りし日を偲べたかなぁ。エキスポランドにいた時間は、多分1時間30分程度。その後、万博記念ホールに入って、お気に入りパビリオン分だけスタンプを押して(ストレス解消)、石坂浩二氏ナレーションの例の記録映画をぼーっと1時間弱見て、2次元の外国パビリオンめぐりをしていた。

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2007年8月31日 (金)

懐かしい37年前

今日まで、5日間、いわゆる夏休みでした。もう、あちこち行きまくりました。あまりに濃い5日間だったので、まずキーワードだけ。「くずはモール街」「西三荘」「エキスポランド」「久慈」そして「岩泉線」。あと「東北本線」もかな。もう、どういう行動だったのか、わけわからないですが、まず初日月曜日。この日はただ、帰省(大阪)のため、いろんな用事を済ませて、新幹線乗ったら、ちゃんと「ハイディ美穂のテキストいらずの英会話」が聴けるJR東海バージョンの列車だったので幸せ。さて、京都に着いてから(実家が大阪と京都の間なので、京都で降りることが多い)はて「くずはモール街ってどうなったんだろう」と素朴な疑問が。そう、京阪沿線市民。くっずっはっモールがいっ、というキダタロー(だったと記憶。伝説のよみうりテレビ、平日朝10時30分からの10分番組だったと思いますが、キャッシーとキダタローが司会していたクイズ番組。スーパーを収録会場に、買物に来ている奥様がたにクイズを出し、正解だったら3000円進呈というシンプルなスタイル。当初は裸の3000円を渡していたが、しばらくして、封筒に3000円入ったものを渡すスタイルとなる。リズムマシーンを操作する古谷哲也氏も「フルテツ」とクレジットされていたと思います。その「くずはモール街での収録週」で、ここのテーマを作ったのはわたしと、発言していた記憶が。ちなみに、「ニチイ千林店」収録週で、小さな頃の自分が、メインタイトルに映っていたはず。)によるテーマも思い出され、広場にはSLもあった、かのくずはモール街がっ、「くずは」で降りてみると、大きなショッピングビル(ビルというほど高くないが面積は大きい)になっていて、おっしゃれーになっていた。調べると、3年前にもうなくなっていたのだった。8月27日の書き置くべき事項は以上でした。

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2006年6月 5日 (月)

興奮のるつぼ

なんと、今度は7月に『沖縄海洋博』のDVDが出る!! そう、大阪万博から5年後の1975年に開催された海洋博、これも公式記録映画があったのです。しかも監督が松山善三。以前にも書いたかも。海洋博は、一度も結局行かなかったのですが、それでも熱狂していたのは覚えています。公式ガイドブックやらガイドマップ(地図帳タイプになっていて、大阪万博マップのようにざーっと広げてみることができなかった。今、こんなものがあればすっ飛んで何度も沖縄に出かけるのですが、当時、大阪から家族で沖縄に、というのはちょっとしたかなりなものでしたので、結局行けなかった次第です。でも、何日もかけて、マジにくじら館の絵を描いたり、自分の熱狂ぶりはなかなかでした。動く(別にパビリオンは動かないが)海洋博を見るのは、ほぼ初めて(テレビで見ているはずだが、ほとんど記憶がない)。ちなみに、この7月、『ウォーターシップダウンのうさぎたち』も出る。すごすぎる。

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2006年4月18日 (火)

玉ねぎのステーキ!!

今日まで、精神的にヘトヘトなので、明日から、まともなこと書きます(映画でも見ます。映画でも???)。梶浦由記様のブログを見ていましたら、「玉ねぎのステーキ」にはまっているとか。うーん、そういう呼び方ですか。さかのぼること、10数年前、前の職業で出張で岡山で缶詰になってまして、そこで、ホテルの隣の居酒屋でいつも夕食を取っていたのですが(森田童子の「僕たちの失敗」がリバイバルヒットしていた頃)、そういう曲をBGMに、玉ねぎのしょうゆ焼をアテによく呑んでいたのですね。玉ねぎをしょうゆで焼くだけの料理。これは、自分でも何度も挑戦しましたが、あの居酒屋の味には、全然到達できず、そりゃそうだわ、玉ねぎがまず違うんだわ、と思いました。今度、また、挑戦してみよう。玉ねぎさえあれば、心情的には生きていける人間なので。こんなことを「大阪万国博」DVDをBGVに書いてます。これ、BGVにもいいですね。時々、画面に目を移しては「おお」という感じで。

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2006年3月16日 (木)

世界の子供たちと踊るゴーゴー

さあ、いよいよ、ついに『日本万国博』4枚組DVD鑑賞記が(ときどきです。毎日はさすがに。個人的には毎日でもいいですが)始まります。まあ、毎日書いてもいいですが、毎日見ていると、本当に、違う世界に自分が行ってしまいそうです。まず見ましたのは、「国内団体・企業館」編63分。やっぱり、これから見ますよね。その印象は、パビリオンの形や配色は前から知っているのでそれはそれとして、コンパニオンさんの衣装はもちろん、展示物の配置、展示の意味、そしてなんと観客のおばさから小学生まで、すべてがサイケだ!!! そして、そこへ持ってきて、尋常じゃない照明やカメラアングル、カメラワークなどを多用するので、サイケさが一層増す。知らずに見ると、かなりアシッドな悪夢な映像かも。そこへ持ってきて、あの現代音楽現代音楽した現代音楽。自然とそうなってしまったのか、かなり意識したのか、もし「普通に撮ったら、観客が退屈に思うと困る」配慮なのか、それか、どんな状態にせよ、この映像は「記録・保存される」ことが決定していた映像なので、それ故に挑戦的なことを行ったのか。映像の作り方もだが、コンパニオンのトーク(これは本当に、そういったアナウンスがされていたのであろう)、例えば「せんい館」の映像に関して「お分かりいただかなくても結構でございます」に代表されるような、すべてにおいて「洗練される前」の状態を見るのは興味深い。複数のパビリオンで語られる未来の世界の図は、それほど現在と違わないが、違う点は「超高層建築だらけにはなっているけれども、デザインそのものは画期的ではない」ということか。インターネットもテレビゲームもまだ一般として始まっていない時代の想像する未来。何が進歩したか、というと、通信手段を先頭とする「形としては見えない部分」じゃないだろうか。そして、むしろ、進歩すればするほど、シンプルになっていくので、エヅラとしては、面白くないものではないか。クボタ館やタカラ・ビューティリオンなどで、未来建築の中の夢として、個室における植物栽培などの積極性のある「自然との共存」があるのだが、実際に個室で「植物」や「動物(ペット)」が飼われたり、ビルの屋上に緑が植えられている意味は、現在は、むしろ「そうしないと自分たちが壊れてしまう」危機感から発したネガティブな意味合いが多くを占めている。そんな発想は、35年前、考えただろうか。35年前の少年たちが自分たちを見たら「この大人たち、暗いなぁ、ナニ考えてるんだろ」と思うかもしれないが・・・35年前の少年って、自分じゃねぇか!というオチもあったりするのです(映画に、じゃありませんよ)。

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2006年3月 8日 (水)

いよいよ今週である

今日は、まだ今からやっつけないといけない原稿があるのですが、それよりも、今週は、ついに『日本万国博』ほぼ10時間バージョンのDVDが出ますね。ということで、BGMは愛知万博の「グランオデッセイ」(千住明)で書いております。聴くと、(まだDVD化の話はないようですが)過去に、『沖縄海洋博』(1975)も記録映画は作られている(しかも、監督が巨匠脚本家の松山善三。松山善三といえば『人間の証明』・・・もっと代表作はいっぱいあるのですが)。しかも、これも2時間30分ぐらいはある巨編の模様。しかし、その後、つくば博や花博は映画は作られていない(と思う。ビデオは出たのかな?)。この大阪万博10時間バージョンのフライヤーの裏面に使用されている写真、エキスポタワー側から太陽の塔(お祭り広場)側を望む景色を見ると、あのアングルは、今でも、自分が万博公園に行くと、必ず一回は、立ってみるポジションなので、在りし日の光景はまさにこうだったのだ、と思い浮かべると、いいようのない感慨にふけってしまう。・・・さあ、こんなDVDは出てしまうし、4月にはARIA第2シーズン始まってしまうし、やる気が凄く出るか、ふぬけになってしまうか、どちらかだろうが、さあ、どっちだろうか(前者でいたい!)。

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2005年12月15日 (木)

あの頃も楽しかった

最近、なかなか強烈に「!!!!」ということがない。やっぱり、愛知万博とともに、どこかへ行ってしまったのか・・・・しかも、週一しか更新していないし、最近。さて、愛知万博といえばARIAなのだが、なぜだか、自分の中では、このふたつが重なる。ARIAの中で人生訓のひとつとして出てくる「いかに人生を楽しむかだ」という考えは、とてもアニメ/コミックがさらっと語ってしまうには、すごい教訓である。さきほどの放送であったばかりのエピソードの内容で失礼しますが、若かった頃を懐かしむことについて、”楽しくなくなったのではなく、あの頃の楽しさじゃない楽しさが今はある。あの頃は楽しかった、じゃなくて、あの頃「も」楽しかった、なんだ”という下りは、感動の一言。ARIAのシーンの中では、何度も、主人公たちが風景を何気なく眺めているシーンが登場するが、あれには「この瞬間も、いつかは思い出になる瞬間なんだ」というニュアンスがある。確かに、「今、楽しい」と思う瞬間は、「のちに、思い出になるんだな」とあとのことを考え、未来のノスタルジーを先に予想させるのだ。これは、いいことなんだろうか。「楽しいこと論」には深いものがありそうである。さて、日曜に『ロード・オブ・ドッグタウン』を観た。ローラー・スポーツのまさに、シーンの中心人物だったステイシー・ペレイラ自身が、当時からを回想している実録だが、この映画は、普通の実録と全く違う。まさしく、当時の彼らの生活に密着取材している(インタビューは、なしで)かのような擬似ドキュメントの香りがする、説明一切なしのドラマ(ドラマか?)なのだ。なので、わかりにくいといえば、わかりにくいし、特別、ドラマの主人公を立ててはいない。彼らの出来事をずっと追いかけるのみだから。偏った思い入れを全く挿入したくなかったのかもしれない。なので、ある意味、観客に不親切な映画かも知れないが、逆に当事者本人が語る映画にありがちなセンチメンタリズムの最極に位置しようとした潔さを感じる。このぐらいやらないと、うそっぽく思えるだろう。しかも、リズム一発説明なし、ドライブ感のみがそれゆえ支配するこの作品、監督が女性監督(彼女としては、初の雇われ仕事か)というところも?かっこいい。大阪万博の話も書くつもりでしたが、また今度。

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2005年10月 9日 (日)

アメリカ館跡地で虫に刺される

自分でも忘れそうなので、書こうと思っていることを。シンシティのこと、モリコーネ公演のこと、これらについては、早いうちに書かなくちゃあいけない、と思いながら、性懲りもなく、先に、ちょっと久しぶりに「大阪万博公園」に行った10/6のことを。この日は夜は大阪フェスでモリコーネ公演だったわけですが、昼は、太陽の塔、拝みに行ってきました。何しろ、私にとってはご本尊ですから。小さな頃、というか、大阪万博の時は、自分は小学校に入る前、6歳。病弱だったため、そう、何度も来博できるわけでもなく、でも毎日のように現地のテレビからは流れてくる万博ニュースで、頭の中は万博一色だった。公式ガイドブックに書かれたイラストを真似て、父は同じ大きさに切った紙をカード状にして、一枚一枚パビリオンの絵を書いてくれた。今思えば、父は絵が上手かった。独特の書き方をしていた。多少、本職が書いたイラストからは省略はするものの、形が崩れることはなかった。さて、あれから35年、万博公園に来たきっかけは愛知万博で告知されていた、この期間の「MANIA EXPO」という催しを見るためだった。現在、唯一、当時のパビリオンを残している鉄鋼館の中での展示というのも味な真似ですが、万博当時のきっぷや、路線図や広告など、パビリオンではなく、周辺の思い出が主にコレクションされ、当時の勢いを生々しく感じることが出来た。さて、この万博公園に来たからには、恒例の行動、「外国館跡の石碑探し」である。さて、ものすごい湿地・森の中に「ソ連館」「アメリカ館」跡を見つけて、かなりジンとくる。「日本館」跡は、広場になっている。お祭り広場は、今は、ただただ広い空間が残されているのみだ。そこのベンチ(当時も、こんな形でベンチだったのだろうか)に腰掛けて、近くの売店でおばちゃんに作ってもらった焼そばを食べる。かなりジンとくる。そういう感じで5時間ほど偲ぶ。エキスポタワー跡でもジンときた。今は、そのあたりはベンチ跡にさえ、雑草が生い茂っている。まるで廃墟の取材に来たかのようだ。もう10月なので、3時でも、夕方の陽射しになっていた。これもまたジンときた。

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2005年4月22日 (金)

大阪万博

『日本万国博』奇跡のDVD化ということで、ビデオを見る。というか、見ている。3時間近くある映画ですが、何しろ、一気に見ると勿体無い(こんな気分で一本の映画を観ることは、おそらく今後もない)ので、ほぼ1週間ぐらいに分けて見た感じ。開会式に30分ぐらい使っているのが勿体無い??が、おそらく映画となると、やはり人間中心だろうから、仕方ないのでしょうが、中には、超メジャー館なのに、展示を紹介せずに終わるところも少なくない。権利的なものだったりしたのだろうか。また、万博の、とにかく大混雑だったことが、大きく取材されている。確かに、すごい行列だった、というのは万博の印象としてあり、それがひとつのトピックスだった、ということはあるのですが。9月には、86万人!!!の入場者が1日であった、ということも記録される。パビリオンの力の入れようが、愛知万博とは遥かに違う。いや、あれは満員になるわ。そう思いました。しかし、1日で86万人ってなんや。ありえない!!

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