2012年4月 4日 (水)

ふたりのHarlow

ニール・ヘフティ『SYNANON』を聴く。『ENTER LAUGHING』クインシー・ジョーンズとのカップリング。麻薬中毒患者の更正施設の人間ドラマ。と訊けば、ヘフティといえども・・・と思ったら、これが、音だけだと、全く、映画の内容は想像付かない、おしゃれなイージーリスニング・タイプ寄りのジャズという、おなじみのヘフティ・ワールド。『SYNANON』の監督リチャード・クワインはそれまで組んでいたジョージ・ダーニング以外に音楽を依頼する『パリで一緒に』をネルソン・リドルに、『求婚専科』『女房の殺し方教えます』をニール・ヘフティに、『ホテル』をジョニー・キーティングに、とイージーリスニング・ファンにもたまらないバンドリーダーでもあるアレンジャーたちに頼んでいった。
ニール・ヘフティで、個人的に愛聴したのが、2001年にコレクタブルがCD化したイージー・アルバム『Pardon My Doo-Wah』と『Hefti Hot 'N Hearty』のカップリング盤。2001年というと、そうまだCD超好景気の頃だから、コレクタブルやコレクターズ・チョイス、そしてタラゴンといったコレクターズ・レーベルからイージーものがじゃんじゃんCD化され、その中の一枚。今では、がんばっているのはヴォカリオンだが、当時は、まだヴォカリオンのがんばりは目だっていなかったと思う。このアルバムの中に収録の「リル・ダーリン」、
このアルバムではないが「ガール・トーク」、この2曲をレパートリーにしているイージー・アルバムは楽団問わず、すぐほしくなった。
ヘフティのサウンドは、マンシーニよりもさらに、可愛らしさをもっていた印象がある。マンシーニのサウンドはレディであって、ヘフティはガールな感じ。ジャッキー・グリースンなんかは、もっと大人っぽくなる。
『HARLOW』は、ヘフティ音楽のキャロル・バーネット主演作の方がDRGからCD化され、聴かれた方も多いと思う。同じ年に、もうひとつ、同じくジーン・ハーロウを描いた『HARLOW』があり、キャロル・リンレイ主演のこちらの音楽はネルソン・リドル。こちらは現状未CD化。しばらく、当初どちかがリジェクトで映画は一本なのだと思っていた。
話は、少し前の行に関連して、ジョニー・キーティングだが、キーティングものは、ヴォカリオンがCD化に力を入れたが、中でもうなったのが『TEMPTATION』と『PERCUSSIVE MOODS』のカップリング。キーティングのアレンジは、誰もこんなアレンジしないだろう発想の転換的なアレンジで、なおかつシンプルにまとめて、ロックな感じさえ漂った。このロックな感じが、パンチのあるカテリーナ・ヴァレンテの歌いっぷりともよくあったのだろう。
ということで、クリッツァーランドは、『女房の殺し方教えます』に続いて『SYNANON』をCD化した。『求婚専科』をCD化したFSMは引退してしまうが、クリッツァーランドへの協力は万全と思うので、ぜひ、このまま『裸足で散歩』『砦の29人』『おかしな二人』を実現してほしい。が、どれも、限定1000枚だったら、瞬殺しそうなタイトルばかりが残っている。

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2009年8月16日 (日)

カラベリ「二人の日曜日」

真夜中に和風スパゲティなど作りながら(醤油とすだちって、合いますね。わかってはいたんですが)、そのBGMに、ターンテーブルにのっけたままだったフランシス・レイ『ブローニュの詩』A面を聴く。一曲めの「エモーション」という曲を聴いたときに、ああ、当時、確か、この曲CM曲だったんだ、と思う。それで、当時、久々のレイのアルバムを出すきっかけとかあったんだろうな、と。うれしかったのは、A面ラストに「愛よもう一度」のテーマインストが入っていたことで、さんざん、当時FMで聴いていたはずなのに、これには入っているだろう、これには入っているだろう、と思って入手したいずれにも入っていなかった記憶があったのだ。そして、そのレコードをしまって、自分では個人的に、イージーリスニング・アルバムとしてベスト・ワンなカラベリの『二人の日曜日』をかけて、真夜中に癒される。全体的に穏やかなこのアルバムは、イージーリスニングとニューエイジの狭間にあった頃のイージーリスニングのひとつの指針的な音のような気がしている。通常、イージーリスニングといえば、ヒット曲レパートリーをどうアレンジするか、なのに、カラベリが全曲オリジナルというのも、異例である。これに似た例は、ほぼ同時期に発表されたはずのクロード・チアリの『ニースの誘惑』ですが、これは、個人的にイージー史上ベスト2のアルバム。もちろん、リアルタイムで体験していることはあるが、他にも、リアルタイムで聴いているアルバムは無数にあるので、それなりの理由はあるはずなのです。パーシー・フェイスの70年代以降とか、ポール・モーリアの70年代後半などの音も好きですが、この2枚は群を抜いている。なんか、時代の流れ的に、CD化されることはなさそうな2枚ですが、伝説にもならなさそうなアルバムであるところが、われながら、自分らしい趣味だな、なんて思うのでした。   

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2009年8月13日 (木)

落葉の並木道

神田にある、とある出版社での用事が終わって15時すぎ。19時のZEPP TOKYOでのMay’nライブまで時間あり、一度家に帰るには時間なし、ということで、少し前にも訪ねたが、その時にはゆっくりみることができなかったので、神保町レコード社へ。実家の大阪方面で、イージーものを多くおいていた店がなくなっていたのでショックで、越してきた部屋では、ちゃんと久々にプレイヤーにスピーカーをつけたので、レコードライフを満喫できるようになり、いまさらながらに、イージーリスニング魂に火がついているのだった。イージーものがたっぷり置いてあるのは、サントラも含めて、ここは信用ができて、じっくり品定めできた。世間的にはレアでもなんでもないが、個人的に聴きなおしたかったので(実家にはあるはずなのだが)ジョニー・ピアソン『落葉の並木道』『ラブ・プレリュード』、カラベリの『ジェット・ストリーム78』、フランク・プゥルセル『プレイズ真夜中のカーボーイ』、前に来店したときにもあって気になっていたヒューゴ・ウィンターハルター『LOVE STORY』、フランシス・レイ『ブローニュの詩』、スティーヴン・シュラックス『愛の航路』、そしてこれはしらなかったが、ニコラ・デ・アンジェリスが音楽担当したらしいフランスのテレビ・サントラ『MARIA』、サントラで、まだ確か持っていなかったジャールの『ザ・メッセージ』、謎のミカリッツィもの『PASSIONI』、とこれだけ。久々に堪能とはいえ、買い込みました。2週間はもつでしょう。さて、一度、書いておこう、と思った話。これは、別に、そのライブとか映画とかがつまらない、というわけではなく、すべての時間に当てはまるのだが、どうも、自分は、小さい頃から、何か特別な時間を過ごしている時に、それが終わって、自分の部屋に帰った後の自分を想像してばかりいる。まあ、例えば、今日はハードワークな一日だぞ、という時に、それらをすべて片付けて自宅に戻った時の自分を思う分には、それが実現したときにホッとするわけだけれども、そうではなく、旅の途中や、本当に楽しみにしていた映画を見たりしているときでさえ、その感覚に襲われる。マイナスはもちろんだが、プラスの感情の起伏にも、どうも、自分は抵抗があるようである。まるで、プラスのことも含めて、何も起こらないことを欲しているかのようだ。でも、確かに、何も起こらない、ということは幸せに思っているところは多分にある。

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2006年11月 5日 (日)

ポール・モーリア

久しぶりに書くきっかけが、この便りというのも悲しいが、ポール・モーリアの訃報。自分にとっては、松本清張や太陽の塔のように、ひとつのアイデンティティを確立しているような人物だったため、よりどころが失われたような気分です。思えば、中学の頃、夏、学校から帰ってキンキンには冷えていない部屋で、フルではないボリュームでポール・モーリア、ジョニー・ピアソン、スティーヴン・シュラックス、アール・クルーなどを聴くのが快楽でした。中学で、この辺のサウンドの洗礼を受けているので、その後、ロックとかには行かない。ここで、自分の音楽の独特な部分はできあがったのかもしれない。モーリア・サウンドがその後、受け継がれている部分が、その後、探し出せていないのが悲しいですが。

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2006年4月15日 (土)

ビリー・ヴォーン

今日も、少しだけ。本当は、じっくり感激したいんですが、コレクターズ・チョイスからリリースされたビリー・ヴォーンもの3CD。それぞれ2in1なので、LP6枚分のCD化。チョー・どイージー。「こういうのがイージーリスニングじゃないか」ど真ん中高めのサウンドです。そういうので、逆に感激したのでした。詳しくは、のちほど、いつか。

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2006年4月12日 (水)

ムード・ピアノを聴く

ユニバーサルからピアノ・ムードものが揃ってどどっと出ましたが、その中で、ジョージ・ファイアー「ピアノ・マジック・ハリウッド」をじっくり聴きます。イージーリスニングの楽しさのひとつが「なじみのメロディを意外な楽しいアレンジで聴くこと」にあると思います。架空のアレンジは(前にも書いたかも)時々、空想で考える。例えば、モリコーネ『海の上のピアニスト』とか『ウエスタン』は、実はゆるやかなレゲエのリズムにぴったりと合います(びっくりするほど合います)。最近だと、鉄道旅の最中に、癒し系アニメOP/EDのボッサ・ギター・カバーを勝手に空想して、BGMにしてました。こういうことをしているので、i-podはいりません。さて、ジョージ・ファイアーのこのアルバムの意外性は、原曲と息の継ぎ方(歌わないから、息じゃなくて、ピアノのひと段落の置き方なんだけれども)が、原曲と違うのである。そんなところでとめない、というところでひと呼吸おくのである。なので、「ムーン・リバー」の表情が違う。まるで、ラジオ体操(体操のBGMに実際になりうる)の伴奏のように楽しい。メロディ変えていないのに、憂いがない。「ムーン・リバー」という曲も、調理法によって、いろいろ変わりそうで、面白そうですね。今度(頭の中で)いろいろ試してみよう。エモコア風はありがちなので、・・・JAMプロジェクト風とか、80年代テクノ・ポップとか、ホーミーでとか、それこそ、マカロニ・ウエスタン風アレンジ(ジュースハープ入ったりする)・・・いろいろな「ムーン・リバー」の〆に子供たちのコーラスをエレクトーンの伴奏で、なんてそういう架空のアルバムを考えつつ。・・・もっと素直に聴けや、という感じで、すみません。

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2006年3月20日 (月)

パーティズ・オーバー

本日も、イージー関連。先日、かの「しょこたんブログ」を見ていたら、しょこたんが十年来親子で見ている、という「『ドラゴン怒りの鉄拳』をテレビで録画したビデオ」なるものが写されていて、なんと、そこには荻昌弘氏のお姿が! そこで、この「月曜ロードショー」に思いが馳せる。当時、キーとなる映画関連番組はいくつかあって、そのOP/EDを探す行為は当時の映画ファンにとって、もう、刷り込まれた作業化していると思いますが、結局きっちり探し出せたのは、この「月曜ロードショー」のエンディング、そう、レイ・アンソニーの「パーティズ・オーバー」だけです(しかも、これが入っている盤も、もう廃盤)。これ、一回聴いたときには、そう感じなかったのですが、もう一度、よく聴くと、まさしく、この演奏! と喜んだものでした。「DANCING ALONE TOGETHER」というアルバムに収録。再プレスしないかしらん。ほかには、あの「日曜洋画劇場」のくらーいくらーいトーンで「ソー・イン・ラブ」を演奏するバージョンはモートン・グールドのもの、というところまでは、いろんな方から聴いていますが、実際にそれとして聴いた事がまだないので、このバージョンがどこかでCD化されないか、なかなか実現しそうにない希望(以前、アメリカ国内のみ決済可能、というサイトで販売されているオムニバス盤に収録されていたのは確認したことはあります)。うーん、今日は、マニアックなことを書いてしまいました。寒くて、想像力も働かないし、ワインはあけちゃったし、かといって、外は激寒だから、買いに行く気しないし・・・

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2006年3月19日 (日)

いかにして、急にイージーリスニングは止まったのか

久しぶりに、ポール・モーリアをちゃんと聴いてみようと思い、以前、日本で限定リリースされた10CDセット中の1974年もの「イエスタディ・ワンスモア」を聴いてます。懐かしさ、楽しさ、癒し・・・まあ、いろいろありますが、以前から疑問に思っていることが、また頭に上がってきました。「どうして、イージーリスニングは80年代上期で急激に新しい録音(レパートリー)を増やさなくなったのか」ということです。街の商店街のうっすらうっすらとしたBGMから流れてくるのも、ビリー・ジョエル、アバのカバーぐらいまでで、その後・・・うーん、可能性あるとしたら、ブライアン・アダムスとかフィル・コリンズとかマイケル・ジャクソンとか、・・・のレパートリーになるものはないのです。ご本人たちが指揮する楽団も少なくなってきているのも、一因かもしれませんが(新しい、このジャンルのアーティストは出てきませんしね)、この時期というと、絶対可能性あるのが「CDの世界的普及」なのですが、直接的な理由が見当たらない。どうして、LPからCDになると、イージーリスニングは失われるのか。ちょうど、この時期は、ニューエイジというジャンル(今は、さらにヒーリング・ミュージックに発展している)が勢いをつけた、ということもある。このジャンルは基本的に「ほぼ全てオリジナル曲のイージーリスニング」的な印象も一面としてある。この頃、曲の権利関係の整備もされていた頃でしょうから「有名曲のカバーよりも、オリジナルの方が制作費的に安く上がる」ということもあったかもしれません。しかし、その後、継承者が普通、どんなジャンルでもあるものなのですが、このイージーというジャンルは「ヒット曲わ自分流にアレンジしてオーケストラ演奏をする」という形で継承しているアーティストがいない。これはずっと気になっていることなのであります。

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2005年10月26日 (水)

「うーん」とチェリーレッド

待望の『エリザベスタウン』鑑賞。あまり、期待しすぎてみると・・・うんぬんかんぬん。キャメロン・クロウの中には、映像化したいイメージが無数にあって、それが収拾つかない状態になっていたりするのかもしれない。結局、編集されたのは2時間強だが、「もっと、あのシーンを見ていたい!」のに、そのシーンはすばやく過ぎてしまう、というところが多いこと多いこと。いっそ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・エリザベスタウン』じゃないけど、そのぐらいの長さにしてしまってもいいぐらい、父との思い出も、もっと具体化させてもいいぐらいだったのじゃないか、とさえ思える。こんな題材だが、テレビ・シリーズさえ、ありじゃないか、と思えるぐらい、観ている方にさえ、細部に行き渡った人間ドラマの深さが伝わってくる。なんか、1年かけてじっくり熟成させて5分ぶんのシーンを考えたぐらいのシーンの連発である。それは『あの頃ペニー・レインと』の時も感じたが、使われるロック・ナンバーについての膨大な知識についても、長年のキャリアならではのものを感じさせる。しかも、それが自然に出るところが、一夜漬け天才では無理なところだ。そういうことで、2時間に集約されてしまった『エリザベスタウン』が完璧かというと、そこがうーん。例えば『ミリオンズ』『フォー・ブラザーズ』『銀河ヒッチハイク・ガイド』といった、今年の下半期のマイ・ベストがちょうどよい尺数であるのに対し、『エリザベスタウン』のそれは短すぎることで、マイナスになっている。・・・・・・てなことを、アメリカではなく、イギリスのレーベル、チェリーレッドからリリースされたジョニー・マン・シンガーズのベストをとろけそうに聴きながら。今かかっているのは、トニー・ハッチ作の「コール・ミー」。そう、ここからスチュー・フィリップスのサーフものが出てるんですよね。

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2005年8月13日 (土)

今はメロディの時代じゃないのだろう

イージーリスニングというジャンルの音楽を聴いていると、いつも思うことですが、「本当に、この頃の音楽は、名曲というものを大切にしていたなぁ」と。おそらく、権利的なものなどでのしがらみも、以前よりすごく難しくなっているから、というのもあるでしょうが、70年代ぐらいまではよくあった「最近のヒット曲のカバー集」みたいな企画は、一切なくなってしまった。イージーリスニングやイージーに属するヴォーカル、というジャンルが新しく進化しないことがその要因にあるのだろうが、ラウンジを標榜する新しいアーティストも、そのほぼ全てがオリジナル楽曲で勝負するため、楽曲だけが、いたずらに(すみません、こんな表現で)増えていく。そして、メロディというものも消費され、人の心に長く残ることがない・・・・なために、未だに80年頭ぐらいまでのナンバーが「スタンダード」として歌い継がれ、演奏されていくのだ。カーペンターズ、バカラック、ビートルズ・・・・の楽曲を愛したように、今で言うと、U2とかスティングとかベイビーフェイスとかRケリーとか・・・の楽曲が様々な形で演奏されることがない。「誰某プレイズ・スティング」とか聴いてみたいですけれど。イージーというジャンルに、何か壁を感じるのは、ここなんだと思う。岡崎広志「リヴィング・ジャズ・フィーチャリング」を聴きながら思う。今は、ジミー・ウェブの「恋はフェニックス」を歌ってらっしゃる4曲目だ。この録音が71年。そう、こういう感じの企画のことなのですが。今という時代がおしゃれじゃない、というのもあるのかも。「誰某シングス2004」。曲名浮かんでこないですからね・・・・・

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